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KDDIと盛和塾の起点となった日(1983年8月22日)

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1983年8月22日。この日は、のちに日本の産業と経営者社会に大きな影響をもたらす二つの出来事が生まれた、歴史的転換点ともいえる日でした。現在のKDDIと世界に広がる盛和塾(2019年閉塾)の礎がこの日に築かれたのです。

午後2時、京都商工会議所主催の委員会で議長を務めた人物は、「半導体技術の革命的な進歩が高度情報社会を実現し、必然的に通信の自由化をもたらす」と語りました。主催者側の一人として出席した稲盛は、のちに第二電電(DDI、現KDDI)設立のキーパーソンとなるこの人物と、運命的に出会います。

そして、当時電電公社(現NTT)独占下での高額な通信料金に対し、稲盛は「国民のためにより安価な通信サービスを提供したい」と決意し、情報通信社会の未来を拓く大きな挑戦へと踏み出しました。

同日午後6時には、少数の経営者有志が集まり「第1回稲盛塾(原文ママ)」が開催されました。これが、のちに世界中の若き経営者たちが集う「盛和塾」の起点となりました。

稲盛はその後多くの時間を割いて、自らの経営哲学や人生哲学を伝え、「人間として何が正しいのか」を判断基準とする生き方や経営のあり方を説きました。そして、「心を高める、経営を伸ばす」をモットーとして掲げ、中小企業経営者の育成に心血を注ぎました。

この日に始まった二つの出来事は、やがて日本社会に計り知れない影響を与えます。

第二電電はNTTの対抗軸として通信の民主化と発展に貢献し、誰もが気軽に利用できるデジタル社会の基盤を築きました。一方、盛和塾は経営者育成を通じて中小企業を活性化させ、その精神は世界中の経営者に影響を与え、多くの企業や経営者に受け継がれていきました。

40年以上前の8月22日に蒔かれた二つの種。それは、「よりよい社会をつくりたい」「人を育て、世の中に貢献したい」という思いからでした。

振り返れば、この二つの歩みの根底には、常に「世のため、人のために尽くす」という稲盛の一貫した願いがあったのではないでしょうか。

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1枚目:KDDI発足式 2000年10月2日
2枚目:参加者5,000人の盛和塾 第23回世界大会(2015年9月16日)

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