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稲盛和夫の生涯㉕ セラミック生体材料分野への進出

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京セラが1970年代に行った多角化のなかで、医療分野での挑戦が人工歯根と人工骨の開発でした。そのきっかけは1972年、大阪歯科大学の川原春幸教授から寄せられた「セラミックスで人工歯根をつくれないか」という相談でした。このひとことが京セラの技術を医療の世界へ導く第一歩となりました。

当時、金属製の人工歯根は人体に拒絶反応を起こすことが大きな課題でした。「セラミックスで人工歯根を」と言われた稲盛は「セラミックスは医療の分野で使えるかもしれない」と直感します。セラミックスは体内で溶け出したり化学反応を起こしたりしにくいという特性があり、それまでの経験値から拒絶反応を引き起こしにくいと考えらえたのです。

創業以来、セラミックスの新たな用途を切り拓いてきた稲盛にとって、自ら研究・開発してきた材料が患者の健康を支え、医療の進歩に貢献するのであれば、これほど意義深いことはありません。こうして京セラはセラミック製インプラントの開発に着手しました。

もちろん開発は決して平坦な道のりではありませんでした。
当初使用した多結晶アルミナでは強度が不足したため、単結晶サファイアへ切り替えます。加工は極めて困難でしたが、研究陣は新たな研磨技術を開発し、製品化に成功。1978年には厚生省の認可を受け、「バイオセラム」として販売を開始しました。

しかし、当時はインプラント手術に挑戦する歯科医が少なく、市場の反応は良くありませんでした。そこで大学病院や学会への技術提供、技術講習会を地道に続けます。こうした努力が実り、今では扱う歯科医もインプラントメーカーも増え、そのなかで京セラは確固たる地位を築いています。
さらに、人工骨や人工関節の開発にも取り組み、臨床試験を重ねて、厚生省の認可を受けることができました。

バイオセラム事業が軌道に乗り始めた1985年、ある問題が起こります。
整形外科医からの強い要望に「人助けになるなら」との思いから応じた結果、個別の認可前の販売となり、人工骨、人工膝関節が薬事法違反の疑いで大きな問題となったのです。

この事件は新聞、雑誌で大きく報じられ、世間から厳しい批判を受けました。稲盛は部下に「全て自分が責任をとる。動揺せずあるがままに正直に対応しなさい」と伝えました。そして、患者のためという思いはあったものの、会社として薬事法を踏み外した事実を真摯に受け止め、一カ月の操業停止処分に従いました。

稲盛自身はこの一件を「神が与えた試練」と受け止め、全社員に襟を正すよう呼びかけました。その後、心機一転、優れた新製品を開発し、バイオセラムの普及に努めました。その結果、セラミック人工骨、人工関節は、病気や事故で体の機能を失った多くの患者に、再び自由に動ける喜びを与えています。

写真:人工股関節、膝関節、補綴材、インプラント