Facebookアーカイブ

工場をめぐるエピソード「一つの善の循環が生まれた地、長野岡谷工場」

260831.jpg

かつて「東洋のスイス」と称された長野県諏訪地域にある京セラ長野岡谷工場は、周囲の山岳風景や諏訪湖の美しい景観と調和した、風光明媚な工場です。

ここは、1983年に京セラと合併したカメラメーカー・株式会社ヤシカの主力工場でした。合併当時のヤシカには創業家をめぐるスキャンダルなどもあり、稲盛の周囲にはその合併に反対する声も少なくありませんでした。

しかし稲盛は、合併発表前に行った抜き打ち視察の際、生産ラインで3台の製造機械を一人で担当し、懸命に働く社員の姿を目にします。そして「これだけ頑張っている社員を見て感心し、何とか助けてあげたいと思った」と後年語っていました。

この合併は「戦後初の業際合併」と報じられたものの、実質的には救済合併であったため、ヤシカの社員のなかには労働条件の低下を心配する人も多くいました。しかし稲盛は、ヤシカの歴史は否定しない方針とし、ヤシカでの勤続年数を合併後もそのまま引き継ぐことにしました。さらに、ヤシカのほうが優れていた労働条件はそのまま維持し、京セラを下回っていた部分については京セラの基準まで引き上げることで、社員が不安を抱くことなく安心して仕事に打ち込める環境を整えました。それは、「一生懸命働く者や正直者がバカを見ない世界をつくりたい」という稲盛の思いによるものでした。

こうした稲盛の姿勢に心を打たれたヤシカの社員たちは、その後カメラづくりにさらに励み、ヤシカ時代を上回る3度のカメラグランプリを受賞するなど、日本のカメラ史に残る製品を生み出しました。さらに、稲盛が第二電電(現・KDDI)を設立して通信事業に参入した際には、営業部門を中心に多くの社員が同社に出向し、稲盛とともに通信の新しい時代を切り開いていったのです。

これは、稲盛が後年よく語った「善の循環」の一つといえるでしょう。稲盛に救われたヤシカ社員がその恩に報いるために、カメラ事業や第二電電事業の発展に向け、それぞれの立場で、それぞれの方法によって力を尽くし事業を支えたのです。長野岡谷工場は、まさにその「善の循環」が生まれた原点、スタートだったのではないでしょうか。

なお、合併前の視察の際、稲盛が京セラで所有のヘリコプターで京都から岡谷工場へ向かったという逸話も、この岡谷工場をめぐるエピソードのひとつとして最後に付け加えておきたいと思います。

写真:合併当時の長野岡谷工場