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稲盛和夫のエピソード

181214

今日は稲盛と朝子夫人の結婚記念日です。

松風工業時代、若き日の稲盛は研究に明け暮れ、会社に泊まり込む日々を送っていました。そのとき、いつも手作りの弁当を名乗ることなくそっと机に置いてくれた女性が朝子さんとわかり、これが二人の馴れ初めとなったのでした。昭和33年12月京セラ設立の準備が進められる中、当時の様子を上司である青山政次氏が温かな視点から描写しています。

「(稲盛は)朝子さんの飾らない心からの親切に魅せられ、強引に結婚を申し込んだようである。会社の設立は決定したが、稲盛は先に結婚しておきたいという。結婚費用はない、もちろん結納金なんか一文も出していない。嫁入道具一式そろえた娘さんに、まだ海のものとも、山のものとも分からぬ一人の男が、結婚を申し込み、承諾を得るのだから、いかにそこに熱意があり、誠心があふれ、人を感動させる力があったかがうかがわれる。昭和33年12月13日、稲盛は松風を退社した。翌14日、松風で先輩の北大路李正を媒酌人とし、蹴上(けあげ)の京都市庁公舎で稲盛と朝子さんは結婚式を挙げた。

(中略)披露宴は公舎の一室を借り、コーヒーとケーキだけ、今後の計画抱負などを話し合いながら、和気藹々(わきあいあい)のうちに終えた。その夜10時京都駅発の特急霧島3等寝台で、郷里鹿児島へ新婚旅行に向かった。夜遅かったので私だけが駅まで見送った。式場費用2,000円、鹿児島まで二人の往復旅費、郷里での披露宴と、新居入りの準備金のすべてを宮木電機から借りた6万円で賄った。両親には一切心配をかけないのが、稲盛の信条であった。思うだに稲盛らしい、素晴らしい誇りうる結婚式ではなかろうか」
青山政次 著『心の京セラ二十年』より