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稲盛に関するエピソード ― 「得度」にまつわるエピソード

9月7日は、1997年に稲盛が京都・八幡の円福寺で得度し、「大和(だいわ)」という僧名を授かった日です。経営者と仏門、これらはどのような経緯で結びついていったのでしょうか。
稲盛は、人生の目的は美しい心を持った人間になることだと言っています。晩年は心を静かにして、あらためて人間について勉強する時間を持ち、宗教の本もたくさん読みたいという希望を抱いていました。死という魂の旅立ちのその前に、自らの心を磨いておきたい、できれば仏門に入って修業をしておきたい、そのように考えていたのです。
65歳になった稲盛は、多忙であってもこれ以上先延ばしはできないと、円福寺の西片擔雪(たんせつ)ご老師にお願いして、得度式を行い、修行させてもらうことになりました。そんな時、稲盛が胃ガンであることが判明し、お寺に入る予定日が手術の日になってしまいました。胃の3分の2を切除する手術を行い、入院から3カ月後、退院した稲盛はこの機会を逃してはならないと、病み上がりの体にもかかわらず、得度式を行い、お寺での修行や托鉢に身を投じることで初志を貫徹したのでした。
そんな稲盛に西片ご老師は、次の言葉をかけられました「実社会に戻り社会貢献することがあなたにとっての仏の道でしょう」。名誉会長として経営の第一線を退いた稲盛は、稲盛財団の運営や盛和塾での若手経営者の指導、さらには恵まれない子供たちのための施設である京都大和の家の建設など、世の中で役に立つような仕事をしたいと考え、実行していったのでした。
写真:LiVE ONE 菅野勝男