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稲盛に関するエピソード「マツタケ狩り」

秋の味覚にマツタケがありますが、1960年代に工場の敷地内で見つかったマツタケの思い出を回顧する稲盛のエピソードがあります。
「この滋賀工場の端に松林があった。不良品置き場にしようとしたら偶然、マツタケを発見した。大量に収穫、食べ放題のスキヤキパーティーを開いたのはいいが、地元から『勝手に採るな』とクレームがきた。『ここはうちの土地だ』といっても、『昔からこのあたりのマツタケは地域の共有財産』と譲らない。土地の習慣を無視するわけにもいかず、たった一年でマツタケとの縁は切れてしまった。」
『ガキの自叙伝』
このエピソードを取材した際の稲盛(2000年7月)は、さらに次のような説明を語っています。腑に落ちるまでその理由を追い求める、稲盛らしいコメントです。
「後で、だいぶ経ってから僕は納得したのですが、昔の知恵で入会権(いりあいけん)というものがあるのです。山はそこで採れる薪や芝だとか、そういうものは全部村の共有財産であって、それで、貴重なマツタケみたいなのは採りたい人に入札をさせて、お金を払った人が採るという。それで、入札をした人が、『今年はここで私が採る』というので止め縄を張る。たとえ自分の土地であっても、そこで採れるものは村全体で使うようになっていたようです。入札したお金は村のお金とする。そういう文化なのだとわかったのです」
写真:マツタケ鍋を囲む面々(右端:稲盛)