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稲盛に関するエピソード 「運動会」

191017

秋といえば、運動会の季節です。京セラでも毎年恒例の行事として各地の拠点で運動会が開催されますが、そこには京セラ草創期からの稲盛の思いが込められています。

「たいへん大事な行事だというので、運動会もしました。ちっぽけな中小企業の運動会なのに、社長の私が出ていって、運動会の開会式、開会の辞というのをやる。そのときに社員の奥さんや子どもさんもきていらっしゃるので、せめて会社の現状を知ってもらおうと。ご主人は会社に来られて働いておられるけれども、家族の方は知らない。どんな会社なのかもわからない。それを、会社のことも知ってもらおうというので、会社の横のグラウンドで運動会をする。運動会が終わったあとは工場を見て帰ってもらう。あなたのご主人はこういう職場で働いておられるのですよ、というので見てもらう。そういうことを必死でやりました。

家族も含めて、奥さんも含めて、京セラという会社のファンになってもらおうと、もう必死でした。それはまさに、勤めている社員だけではなくて、社員の家族まで含めて全部がうちの会社の家族になってもらおうと思ったからです。そういうふうに実は必死で、私は努力をいたしました。(中略)

運動会では私自身がパン食い競争に、うどん食い競争に一緒になって転げ回って若い連中と走り回りますから、ものすごく従業員との距離が近くなって非常に親しみが増すのです。」
(1995年4月15日 盛和塾千葉開塾式講話より)

写真:うどん食い競争での一コマ(1976年)