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稲盛ライブラリーこの逸品「 敬天愛人の書」

191021

稲盛ライブラリーの玄関扉を入ると、1Fエレベーター手前の上段に「敬天愛人」と揮毫された書が掲げられています。これは今も稲盛の執務室に掲げられている西郷南洲(隆盛)の臨書のレプリカであり、当館全体のコンセプトをも表しています。

京セラ創業の1959年、支援していただいた出資者のお一人である宮木電機製作所の宮木男也社長が出張先から帰ってきた折に、この「敬天愛人」の書を稲盛に贈りました。郷土の偉人の言葉として幼い頃から親しんできたものでもあったことから、稲盛はすぐに表装して、たった一間しかなかった当時の会社の応接室に掲げました。

「敬天」とは、天が指し示す正しい道を守ることであり、道理に従って物事を考えることです。「愛人」とは魂から発した優しい思いやりに満ちた心で人を愛しなさいということです。
当時、稲盛は若手経営者として何を基準に物事を判断すればよいのかわからず、日夜悩んでいました。悩み抜いた末に、経営の判断基準を「人間として何が正しいのか」という一点に絞って経営の舵取りを行おうと決意しました。そう決めて、改めて応接室に掲げられていた「敬天愛人」の書を見た時、西郷南洲も「敬天」という言葉で同じことを言っていたということに気づき、「これでいいのだ、自分は間違っていない」と稲盛は確信し、この「敬天愛人」を京セラの社是とすることに決めました。

さらに京セラ創業3年目に、前年に採用した高卒社員が待遇保証を求めて反乱を起こしたことを契機として、「稲盛和夫の技術を世に問う」という当初の会社の目的は変貌を遂げ、「全従業員の物心両面の幸福を追求する」という現在の京セラの「経営の理念」が成立します。
この時も、ふと顔を上げた稲盛の目に飛び込んできたのは、応接室に掛かっている「敬天愛人」の書でした。今度は「愛人」です。まさにこれは西郷南洲が説く「愛人」、つまり広く人々を愛するということなのだと、その思想の真髄を理解したといいます。

稲盛に大きな示唆を与え続けてきた「敬天愛人」の書。今では執務室に掲げられているその書を、稲盛は会社に来るたびに眺めています。