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稲盛ライブラリーこの逸品「滋賀工場開設にかけた思い」

今から約60年前の1963年5月24日、滋賀工場(現・滋賀蒲生工場)が、滋賀県蒲生町に完成しました。1959年4月の会社設立以来、間借りの社屋でセラミックスを製造していましたので、念願の自社工場でした。当時31歳の稲盛は、工場開設にかける思いを次のように記しています。
敬天愛人を座右の銘とし、人格の陶冶と仕事に徹するの信念を京セラ精神とする。
常に技術の向上をめざし、未知の世界に挑み、他の造り得ないものに好んで取り組み、独創力を発揮し、不可能を可能にする。
互いに赤裸々な気持ちで話しあい、討論のできる場であり、陶冶された各人の人格と気力がそのまゝ、京セラという法人に人間性の息吹を与え、京セラを顕現するとともに、各人が京セラに融合して一体となる。
部下の喜びを喜びとし、悲を分ちあい、京セラの繁栄を自己の繁栄とし、京セラの苦難を自己の苦難として、その解決に熱と希望を持つ。
お互いに信じあい、心と心の結びつきを第一とし、京セラ人としての誇りと無限の喜びを感ずる。
人里離れた滋賀県下蒲生赤坂町の丘に、京セラの一大ユートピアを創造せんとする。(設立趣意書より)
操業当初は、工場一棟と平屋建ての寮のみだった滋賀工場。そのようなゼロからのスタートでしたが、稲盛は自身が従業員の先頭に立ち、工場を「京セラの一大ユートピア」にすると宣言しました。この趣意書からは、高い理想に向けて決意する若かりし日の稲盛をうかがい知ることができます。

写真
1枚目:操業開始時の滋賀工場
2枚目:稲盛ライブラリー3階に展示されている「滋賀工場開設にかけた思い」