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稲盛和夫と海 社運を賭けた決断

200723

稲盛はこれまで企業経営者として、数多くの大きな決断を下してきました。
海の日にちなみ、稲盛が海水浴をしていた際に下した、社運を賭けた決断をご紹介いたします。

鹿児島で生まれ育った稲盛は、桜島を望む錦江湾で遠泳に親しんだ経験もあり、夏には、時間を見つけて、海水浴に出かけていました。
京セラが創立10周年を迎えた1969年夏、若狭湾に家族で海水浴に来ていた稲盛は、京セラの将来を左右する一本の国際電話を受けることとなります。
それは、米国企業からの、電卓用ICのセラミック多層パッケージ100万個、金額にして8億円の注文についてでした。

当時の京セラは、年商が20億円に満たない規模であり、量産技術が確立していないセラミック多層パッケージを大量に受注することは、大きなリスクを伴いました。しかし、将来半導体産業は急成長を遂げると確信していた稲盛は、受注することをその場で決断したのです。

その後、稲盛の想定通り、ICチップの生産量は急激に伸び、新ラインを設けた鹿児島工場は世界一のセラミックパッケージ工場となります。稲盛が好む、海水浴での大決断は、今日の京セラの礎を築くこととなりました。

写真:海水浴での稲盛