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経営とマラソン

200910

9月12日は、マラソンの日です。マラソンの語源とされる古代ギリシャのマラトンの戦いにおいて、伝令の兵士が約40kmの距離を走りきった日と言われています。稲盛は創業時、まだ零細企業であった京セラが生き残っていくために、本当に寝る間も惜しんで、誰にも負けない努力で仕事に邁進していました。そのような「全力疾走」では、身体も保たなければ、長丁場の経営にも耐えられないと心配する社員に対して、稲盛は経営をマラソンにたとえて、次のように説いたことがあります。

「たとえてみれば、京セラは日本の経営レース、企業マラソンに遅れて加わったようなものだ。スタートは1945年8月15日、終戦のときに一斉にみんなが走りだした。京セラを創業した1959年というのは、それから14年経っている。14年を距離にたとえると、ちょうど先頭集団が14キロ地点を走っているということである。そのときに京セラはスタートしたのだ。14キロも離されて、42.195キロを走らなければならない。ただでさえ14キロも離されているのに、一流でもない選手がチンタラチンタラ走っていては勝負にもならない。それでは経営をする意味がない。だから、とにかく全力疾走で走ってみようではないか」

そのように話していた創業のときから、わずか10年ほどで、大阪証券取引所二部に上場することができた。二部上場ということは、14キロ先を走っていたマラソンの第二集団を凄まじい勢いで追い上げて視界にとらえ、そのなかに入っていったということである。
忘れもしないが、その夜、滋賀県にあった工場のグラウンドに全社員を集めた。松の丸太で櫓(やぐら)を組んで篝火(かがりび)を焚き、二部上場ということがどういう意味をもつのか、みんなに話をした。そのとき、すでに何百人という従業員規模になっていたが、篝火を背景に、わたしは彼らに向かって話した。

「皆さんの、いままでの苦労に感謝する。会社をつくった当初から、必死の努力で頑張ってきた。人からは『そんなに馬車馬みたいに走っても、つづくわけがない』と言われながらも、マラソンを全力疾走で走ってきた。確かに皆さんが、『これでは頑張りすぎ、働きすぎじゃなかろうか』と言った通りオーバーペースであったかもしれない。しかし、走っているうちに、このペースで走れることがわかってきた。また、先を行く選手たちが速くないこともわかってきた。そして、そのまま全力疾走をつづけた。その結果、14キロ前を走っていた第二集団にわれわれは追いついた。マラソンを全力疾走で走ることができるのだ。さあ、ここまで来れば、残るは第一集団、つまり東証一部上場会社だ。次はあの先頭集団に追いついていこう」

そう言って、さらに全力疾走をつづけ、京セラは二部上場から3年で東証一部へと駆け上っていった。そして翌年、ソニーを抜いて、日本一の株価に輝いた。さらには、その後、ニューヨーク証券取引所にも上場を果たした。
つまり、人から「できるわけがない」と言われた全力疾走を、わたしは経営というフィールドで、創業以来ずっとつづけてきたわけである。
(『燃える闘魂』毎日新聞出版)

写真:全力疾走する稲盛(写真中央)1963年 社内運動会にて