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芸術とは、心が発した思いの産物

芸術の秋、美術館で絵画鑑賞する稲盛の珍しい一枚です。絵と向き合うとき、稲盛の心中にはどのような思いが巡っているのでしょうか。ある講演の一節にそのヒントがありました。
我々は今日、すばらしい文明社会に生きています。我々はそれを知的な産物だと思っているため、いわゆるインテリジェンスを磨き、専門知識を磨いていけば、そのようなものができると思っています。しかし、新しい創造的なものというのは、すべては人類が心に思い浮かべたものであり、かつそれを実現しようとたいへんな努力を払ってきた結果として生まれたものなのです。
私は、自分で研究をやっていたときに、科学技術の発展も社会現象も、すべては我々人類が最初に心に思い浮かべたものだったのではないかと思ったのです。それをなんとしても実現しよう、なんとか追求していこうという努力を重ねてきた結果、現在の科学技術が生まれ、このすばらしい文明社会がつくられたわけです。ですから私は、「思い」というものがたいへん大事なのだと思っているのです。「思い」がなければ、現在の文明社会も生まれなかったはずだと思っています。それほど大事なことなのに、我々は「思い」というものをあまり大事なものだとは思っていません。
絵画、音楽、演劇、映画といった芸術の世界においても、「思い」が大事になります。たとえば、絵を描いていた人がハッとひらめき、それを表現しようと必死に呻吟し、苦しみ抜き、絵にしていく。それがその絵を見る人を感動させ、新しい絵画の領域を広げていくことになるわけです。(中略)
科学技術にせよ芸術にせよ、すべてが思いつき、またはひらめきといった心の作用がもたらしたものであり、その心の作用がすべてのものをつくっていったとしても過言ではありません。
(2008年 鹿児島大学医系教員会議総会講演「人はいかに生きるべきか」より)
写真:ニューヨークメトロポリタン美術館での絵画鑑賞(2008年)