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"孝"の心を育んだ「曽我どんの傘焼き」

稲盛の生家にほど近い鹿児島市の甲突川畔では、毎年夏になると「曽我どんの傘焼き」という伝統行事が盛大に行われます。これは薩摩藩政の頃から続いてきた鹿児島の伝統的な子弟教育である「郷中(ごじゅう)教育」の中の重要な行事の一つで、江戸時代末期から今日まで受け継がれているものです。
「曽我どん」とは、鎌倉時代に父の仇討ちをしたことで有名な、曽我祐成と時致の曽我兄弟のことです。儒教が教育の柱であった江戸時代には曽我兄弟の仇討ちは、その重要な徳目である「孝=親への孝行」の事例として武士の子弟に広く教えられたもので、郷中教育においても親孝行の気持ちを養うための重要な行事として行われてきました。傘を焼くのは、曽我兄弟が仇討ちをした際に、松明の代わりに雨傘を燃やして夜討ちをしたという故事に由来しています。
稲盛の少年時代にも郷中教育はまだ残っていて、その一環として「曽我どんの傘焼き」にも稲盛は毎年参加したといいます。この郷中教育を通じて稲盛は、勇気を持つこと、卑怯なふるまいをしないこと、質実剛健であること、弱い者に対して思いやりを持つことなど、その後の自身の思想の根幹となる「人間として正しいこと」を学んでいったのです。
「曽我どんの傘焼き」では、締め込み一つになった稚児が、稚児を指導する「ニセ」と呼ばれる年長者とともに曽我兄弟の唄を歌いながら、河原に5~6mもの高さに積み上げられた数百本の和傘を燃やし、その周りを回りながら曽我兄弟に思いを馳せ、親孝行の心を養うのです。その"孝"の心は稲盛の心の中にも深く刻み込まれました。


写真協力:鹿児島三大行事保存会
過去に行われた傘焼きの様子。昨年と本年は神事のみ行われました