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稲盛和夫と手紙

12月は稲盛にとって転機の月。1958年12月13日、26歳の稲盛は最初に勤めた松風工業を退社し、翌14日に結婚します。そして翌年4月に迫った、京セラ設立準備に全力投球をしていきます。
その1カ月ほど前に、稲盛が父親に送った書簡が残っています。数千文字に及ぶ長文の手紙で、稲盛の両親が大切に保管し、亡くなった後に形見分けで稲盛の手元に戻ったものです。
文面から、稲盛が大卒入社後わずか4年で、60人を率いる特磁課課長に就任し、赤字続きの松風工業で唯一収益を上げる部門の長として、まさに会社を背負って立っていたことがうかがえます。しかし、起死回生、会社を救いたいという思いから社長に提出した会社再建策が受け入れられないことが確実になり、また稲盛の技術を活かした新会社設立の話が急浮上したことから、退職を決意したことが記載されています。
さらには、新会社(京セラ)設立の構想を記すとともに、次のように力強く父親に語りかけ、手紙を結びます。
「和夫のする事です。かならずなしとげます。御心配なく。安心しておって下さい。二~三年先には立派になります。それ迄のしんぼうです」
64年前、青年稲盛は、生涯の伴侶と仲間を得て、人生に限りない夢と希望、情熱を抱き、師走を迎えていました。その炎(ほむら)は今もなお稲盛の心に宿り続けているに違いありません。 *手紙の文面は書籍『思い邪なし』 (毎日新聞出版刊)でお読みいただけます)
写真
1枚目:父 畩市宛ての手紙。便せん8枚にわたって若き稲盛の思いが切々と綴られている
2枚目:京セラ設立準備中の頃(1959年)