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稲盛和夫、小学校入学の思い出
真新しいランドセルを背負ったピカピカの1年生がまぶしい季節になりました。稲盛が小学校に入学したのは、1938年(昭和13年)4月1日。朝方は冷えたものの、日中は暑さを覚えるほど上天気だったといいます。
この日のことを、稲盛自身は次のように語っています。
「家からほど近い西田小学校の入学式に母に連れられて行った。式の後、各クラスに分けられて教室の自分の席に着いた。よかったのはそこまでだ。先生の話がひとまず済んで、「父兄の皆さん、どうぞお引き取り下さい」と聞いたとたん頭が真っ白になった。母が自分をおいていく。そう思ったら涙があふれてきた。帰るに帰れず母は教室の後ろでたった一人最後まで残ってくれた。『あんな恥ずかしいことはなかった』といつまでもいわれた」(日経BP社『稲盛和夫のガキの自叙伝』より)
実は、稲盛は近所で「3時間泣き」というあだ名がつくほど泣き虫で、まだ乳離れもできていない少年だったのです。しかし、学校に慣れ友だちができてくると変身します。「勉強しなさい」と言われない家庭環境を活かし、宿題など放り出して、自宅横を流れる甲突川や雄大な桜島を望む城山で、ガキ大将として、人心掌握や組織糾合の術を学ぶ6年間を過ごします。
1985年11月、そんな稲盛が西田小学校の創立110周年を記念して、講演を行っています。そのとき、稲盛は久方ぶりに母校の校歌に触れ、「世界一すばらしい校歌だ」と述べています。その一節を引用します。
伸ばす心の ひとすじに
強く 正しく 美しく
行く手 幸あり 光あり
まさに、稲盛の思想そのものです。遊びほうけていたように見える稲盛でしたが、人生で一番大切なことはしっかりと学び取っていたのです。
写真
1枚目:小学校時代の稲盛(後ろから2列目、右から6人目が稲盛)
2枚目:2枚目:西田小学校校舎