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『稲盛和夫研究』創刊第1号の論文紹介① 「戦前・戦中・戦後における内野正夫の歩み」
紀要『稲盛和夫研究』創刊第1号から論文の内容についてシリーズでご紹介します。
初回は、稲盛和夫研究会副会長で経営活動研究分科会座長を務める沢井実・大阪大学名誉教授の論文「戦前・戦中・戦後における内野正夫の歩み」です。
内野正夫(1892-1973年)は稲盛が「生涯の心の師」と慕った鹿児島大学時代の恩師です。稲盛の著書『ガキの自叙伝』には、内野が稲盛の卒業論文を激賞し、技術者としての心構えを説いてくれたこと、そして、松風工業時代にパキスタンの碍子製造会社から誘いがあった際に、日本に残って技術を磨くことを稲盛に助言したエピソードが紹介されています。
そうした深い縁を持ち、稲盛に多くの影響を与えた内野が鹿児島県立大学(のちに鹿児島大学に改組)工学部教授として赴任したのは1954年9月のことです。沢井名誉教授の論文では、稲盛に出会うまでの波乱に満ちた歩みを、内野本人の論文や創設に関わった満洲軽金属製造の文献をはじめ、膨大な資料をベースに解き明かしています。
本論文で特筆すべきは、これまで断片的にしか知られていなかった内野の研究者・技術者・経営者としての姿が浮き彫りになったことです。そこには、国民を豊かにするための産業開発への一貫した思い、晩年まで衰えることのなかった旺盛な研究意欲を垣間見ることができます。
卒業生として稲盛を送り出してから1年後に、内野が戦後日本に対する自らの信条を次のように語っていたことも、論文の中で紹介されています。
「いやしくも政治は1人の失業者も出すことを許さず、完全雇傭を目標とせねばならぬ。これがために国民の力を挙げて産業の開発に向けねばならぬ。(中略)闘争経済は断じて国利民福を招来するものにあらずして、貧困に追込む謀略としか考えられない。私どもは東洋古来の経世済民の道義経済のみが、現代日本の採るべき唯一の道と確信する」(内野正夫「神話の国、鹿児島」『化学と工業』第9巻第6号、1956年)
技術をベースとして産業を振興するとともに、経営者と労働者の対立(=闘争経済)を越えた、全国民の幸福を追求する経済のあり方を模索していた内野は、その自らの志の実現を若き稲盛の思想と行動に託したのかもしれません。
発 売:京都大学学術出版会(冊子版については、以下のサイトから購入可能です)
https://www.kyoto-up.or.jp/journal.php
ISBN 978-4-8140-0417-1 / PRINT ISSN 2436-827X / ONLINE ISSN 2436-8261
※電子ジャーナル版については、J-STAGEにて閲覧可能です。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/inamori/1/1/1_1/_article/-char/ja
写真
1枚目:『稲盛和夫研究』創刊第1号表紙
2枚目:内野正夫先生