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稲盛ゆかりの地を巡る 「圓福寺(えんぷくじ)」

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稲盛ゆかりの地、今回は京都府八幡市にある禅寺、臨済宗妙心寺派の達磨堂圓福寺をご紹介します。
かねて仏門に帰依することを考えていた稲盛は、1997年、65歳を機に京セラ、DDIの名誉会長となり経営の第一線から退きました。そして同年9月、この圓福寺で得度をして「大和(だいわ)」という僧名を授かりました。11月には、大接心(おおぜっしん)という修行も行いました。「接心」とは、心をあるひとつの対象に集中させることで、一定の期間参禅に邁進する厳しい修行期間のことをいいます。初冬の寒い朝、他の雲水たちと共に三時に起床して、夜十一時に就寝。食事は一汁一菜で、起きて半畳、寝て一畳といわれる座禅三昧を体験しています。(写真参照)

また、その修行の間に托鉢も行い、一生心に残るような出来事に出会ったとのちに述べています。

「慣れない托鉢を続けていると、わらじの先からはみ出した指が、アスファルトの地面にすれて血がにじんでくる。仕方なくかかとに重心をのせて歩くと、今度はふくらはぎが痛む。夕暮れになり、重い頭陀袋を下げ、疲れた足取りで歩いていると、道の落ち葉を掃除していた年配のご婦人が私に寄ってきて、「大変でしょう。これでパンでも食べて下さい」と百円玉をそっと恵んでくれた。それを受けた時、私はなぜかたとえようのない至福の感に満たされ、涙が出てきそうになった。そのご婦人は決して豊かな暮らしをしているようには見えなかったが、私にお布施を下さる美しくも優しい心は、今までの人生で感じたことがないくらい新鮮で純粋なものだった。全身を貫くような幸福感、これこそ神仏の愛と感動した」(『ガキの自叙伝』日本経済新聞社)

稲盛はこの経験を通じて、「世のため人のために尽くすことが人間としての最高の行いである」という自らの人生観は間違っていなかった、と確信できるようになったといいます。そして「改めて自分の人生を利他の心で全うしたい」と考え、そのための努力をさらに重ねることを心に誓ったのでした。

20220811-2.jpg修行中の稲盛

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※達磨堂 圓福寺:ご注意 修行のための禅寺ですので、普段は一般公開されていません。Webサイト等で公開の行事などをご確認の上、お訪ねください。
http://empukuji.org/