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稲盛ゆかりの地を巡る -新大阪ホテル
新大阪ホテル 外観(写真提供 : リーガロイヤルホテル)
稲盛ゆかりの地を巡る、今回は稲盛が「フィロソフィ」という言葉を意識するきっかけとなった場所、新大阪ホテル(大阪市北区中之島3丁目)です。現在その跡地には住友中之島ビルが建っています※。
松風工業時代(昭和31年)に、吉田源三さんという三井物産の元ニューヨーク支店長が、松風工業の経営を立て直すため、調査団の団長として来られました。そして「稲盛さんという技師がおられるそうですね。お目にかかりたい」と、吉田さんが泊まっていた新大阪ホテルで対面した時の出来事。これが、稲盛が「フィロソフィ」という言葉を意識したきっかけと言われるエピソードです。
「碍子の輸出を受け持っていた第一物産(現三井物産)が松風の経営が思わしくないというので実態調査にきた。乗り込んできた調査団の団長が戦前の三井物産のニューヨーク支店長だった吉田源三氏。当時は第一物産の顧問格で一家言ある大物として知られていたらしい。それだけに、松風側は緊張して身構えていた。
その吉田氏が突然、『稲盛という若い社員がいるはずだが、ぜひ会いたい』といったという。会社の幹部連中もびっくりしたが、急に呼び出された私も驚いた。まったく心当たりがない。『あなたが稲盛さんですか。別に用事があるわけではないが、実は鹿児島大学の内野(正夫教授)君は東大の同級生でね。彼と東京で会う度に君のことを聞かされていた』。ついては、今晩ゆっくり話そうと誘われた。
指定された大阪のホテルに一張羅の背広を着て出かけた。そんな立派なホテルに入ったことがなく、ロビーで思わず立ちすくんでしまったほどだ。緊張している私に気を使ってくれたのか、『どうぞ気楽に。私は吉田さんでいいから』と話しかけてくれた。それでいて私のことは『稲盛技師』と呼ぶ。内野先生と同じでこんな若造を一人前に扱ってくれるのである。この人なら私の話をちゃんと聞いてくれる。
せっかくの機会と、常々思っていることを率直に語った。入社以来、フォルステライト磁器の開発に取り組み、事業化して軌道に乗ってきたこと。そして、松風を立て直すには進むべき方向を社員に明確に指し示すべきだと。吉田さんに『稲盛さん、若いのにあなたにはフィロソフィがある』といわれた。吉田さんと別れた後、私は何度も『フィロソフィ』『フィロソフィ』と声に出していた」(『ガキの自叙伝』文庫版より)
この時、稲盛は「フィロソフィ」が日本語でどういう意味なのか分からずに帰宅しましたが、すぐさま辞書を引き「哲学」という言葉に出会います。決して体系的な哲学を持っているわけではないけれど、「こうありたい」という確固たる理念、信念から「フィロソフィ」という言葉を使われたのだと気づき、稲盛は大きな衝撃を受けます。後に考え方の大切さを説くことになる稲盛の「京セラフィロソフィ」。この言葉の淵源は、実にこの新大阪ホテルのロビーでの会話にあったのです。
※新大阪ホテルは1973年に閉館後、中之島5丁目のロイヤルホテルに統合され、現在ではリーガロイヤルホテルとして、その伝統を受け継いでいます。
新大阪ホテル ロビー (写真提供 : リーガロイヤルホテル)
吉田 源三 さん