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稲盛ゆかりの地を巡る-桜島
城山から桜島を望む稲盛
稲盛ゆかりの地を巡る、今回は鹿児島県のシンボル、桜島です。
書籍『京セラフィロソフィ』の「夢を描く」の項には、「ロマンチックな人生を送りたい」と考える稲盛青年の心に夢と希望を与えてくれた高校時代の恩師との桜島のエピソードが掲載されています。
「夢を追いかけるロマンチックな人生を送りたい」と考え始めたのは、高校1年のときにさかのぼります。敗戦から3年ぐらいしかたっていないころでしたので、鹿児島市内は空襲のため、焼け野原になったままでした。私が通っていたのも、掘っ立て小屋みたいな高校です。鹿児島市内の海岸近くに建っていた高校で、真っ正面には桜島が噴煙を上げていました。
国語の先生がたいへんなロマンチストで、まだ教科書もあまりなかった時代でしたから、有名な作家の小説などを題材にして、毎日いろいろな話をしてくれました。その先生があるとき、「私は毎日恋をしています」と言い出したのです。何を言うのかと思いましたら、「自転車で桜島を見ながら学校に通っているけれども、私はその桜島に毎日恋をするのです。あの雄大な島影、そしてもくもくと噴き上がる噴煙。あの情熱に憧れています」と言われたのです。
食べることもままならない敗戦直後の焼け跡にあって、先生は明るくロマンチックに、すばらしい夢を描き、私たち生徒に夢と希望を与えてくれました。その先生の影響も受け、私も人生においてはなるべく楽しく、明るく、希望にあふれた夢を描くべきだと思い、毎日を過ごしてきたのです。
皆さんもご存じだと思いますが、若いころ、私の人生はたいへん暗いものでした。小学校高学年で結核を患い、死にかける。旧制中学受験には二度も失敗し、大学受験も失敗する。大学を出ても、思うような会社に就職できない。まさに挫折に次ぐ挫折の青少年時代であったわけです。にもかかわらず、私が暗くならず、ひがまずに人生を送ってこられたのは、その先生の影響があったからだと思います。
どんなに現実が厳しく暗かろうとも、自分の心まで病んでしまうようなことがあってはなりません。常に明るく、希望にあふれた夢を描いていくことが大切なのです。
稲盛の青年時代は、重病や度重なる受験の失敗など決して順風満帆といえるものではありませんでしたが、それにめげることなく、「人生に明るい希望の灯をともし続けたおかげで、実社会に出た後、素晴らしい人生を歩むことができた」と、振り返っています。心に絶えず夢を描き続けることが、稲盛にとって思いを実現させる方法だったのです。