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稲盛和夫の生涯③「稲盛の思想に大きな影響を与えた『隠れ念仏』」

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1937~1938年(稲盛5~6歳の頃)、稲盛に大きな影響を与えた出来事がありました。
稲盛の生まれ育った鹿児島県には、かつて「隠れ念仏」という風習がありました。
鹿児島県には浄土真宗の信者が多く、強固な結束力を恐れた薩摩藩は慶長2年(1597年)に浄土真宗禁止令を発布。以来300年にわたり、激しい宗教弾圧が行われました。しかし信者たちは、山奥に祠や隠れ家をつくっては集会を開き、信仰を守り続けたのでした。

この隠れ念仏は1876年に禁制が解かれてもなお続けられた地域があり、稲盛の父畩市(けさいち)の故郷である鹿児島市の小山田(こやまだ)には根強く残っていたことから、稲盛も「隠れ念仏」を体験する機会がありました。

日没後、父に連れられて提灯ひとつ下げて向かった先は、寂しい山道の先にある小屋でした。蝋燭(ろうそく)の火が灯る小屋ではお坊さんらしき人が仏壇の前に座り、お経をあげています。その後ろには、同じような年頃の子どもたちが座っていました。
読経が終わると、子どもたちは線香をあげて仏壇を拝み、お坊さんは子どもたち一人ひとりに声をかけていきました。そこで稲盛はお坊さんから「坊やは、今日のお参りで仏様のお許しが得られた。だから、今後は来なくてもいい。ただし、これからは『なんまん、なんまん、ありがとう』という念仏を、必ず毎日唱えるようにしなさい。そう言って感謝の念を仏様にささげるんだよ」と告げられます。

「なんまん」というのは、「南無阿弥陀仏」がなまったもので、『なんまん、なんまん、ありがとう』は「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、感謝申し上げます」という意味です。

稲盛はこの体験を決して忘れることはありませんでした。その後の人生において、日常生活でささやかな幸せを感じた時はもちろん、遠くヨーロッパの礼拝堂で厳かな気持ちになった時なども、あらゆる場面で「なんまんなんまん、ありがとう」と口にしていました。そうすることで自然に謙虚な気持ちや感謝の思いがわき起こり、自身に幸せな人生をもたらしてくれたと語っています。