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稲盛ゆかりの地を巡る-「鹿児島玉龍高校と島津家墓所(福昌寺跡)」

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稲盛ゆかりの地を巡る。今回は稲盛が高校生活を送った母校、鹿児島玉龍高校をご紹介します。

現在では鹿児島市にある公立の中高一貫高校となっていますが、稲盛が入学した1948年は、鹿児島市高等学校第三部という名称でした。校舎の裏手は玉龍山福昌寺という薩摩藩主島津家の菩提寺(明治2年廃仏毀釈により廃寺)の跡地があり、現在ではお墓だけが残されています。そんな母校で、稲盛は次のようなエピソードを語っています。

大学受験を控えた高校3年生のときに、当番で砂運びをすることになりました。墓場がこの近くにあり、一生懸命砂運びをしていると、頭蓋骨が出てきたりしました。私は「一生懸命真面目にせんといかん」と思ってやっていましたが、他の人は「受験勉強があるから」と言ってサボるのです。サボる人間がどんどん増えていくものですから、「自分だって受験勉強をしたいのに、みんなサボるなんてずるい」と不満に思い、10日目だったと思いますが、「もうこんなあほらしいことはやめや。出てこんでも一緒やし、それならサボって受験勉強した方がましや」と思って、私もサボりました。

ところが、そんな日に限って、先生が点呼をとりにくるのです。そして、ずっとサボっていた人は、「もうそろそろ先生が点呼をとるころだ」と考えて、その日だけは出てくる。一方、私のように鈍な人間は、ずっとまじめに出てきていたのに、「みんなが出てこないなら、おれもサボろう」と思ってサボったときに点呼をとられ、「おまえだけが出てきとらん」と叱られる。何をするにしても、人よりテンポが遅れて損な目に遭う、その繰り返しの生徒だったと思います。
(鹿児島玉龍高校創立40周年記念講演「私の人生体験」1980年 より)

エピソードからは、稲盛の生真面目な性格の中に垣間見られる人間味が伝わってくるようです。島津家墓所(福昌寺跡)は、国指定史跡となっており美しく整備された島津家歴代のお墓を訪ねることができます。薩摩の名君たち、そして砂運びに勤(いそ)しんだ稲盛に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

※鹿児島島津家墓所(福昌寺跡)ご案内(鹿児島県観光サイト「かごしまの旅」)
https://www.kagoshima-kankou.com/guide/10551

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写真
1枚目:鹿児島玉龍高校 (写真提供:玉龍高校ホームページより)
2枚目:学校から見える福昌寺跡の島津家墓地。薩摩の名君 島津斉彬たちが眠る。
(写真提供:玉龍高校ホームページより)