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稲盛と"アイスキャンデー"

これからどんどん暑くなり、冷たいものがおいしい季節になります。みなさん、5月9日がアイスの日だったことをご存じでしょうか。東京アイスクリーム協会がアイスクリームの普及を図ってさまざまな施設にアイスクリームを寄贈をしたことから、そのように制定されたそうです。
実は稲盛もアイスが好きで、出張先などでまわりの人に「ソフトクリーム食べないか?」とよく誘っていたそうです。
では、稲盛とアイスの関係はいつ始まったのでしょう。1984年発刊の『ある少年の夢』(加藤勝美著 出版文化社刊)にこのように書かれています。
「臆病だけれども陽気で負けず嫌いの少年和夫と、その3つ上の兄利則が待ち遠しいのは、家の七郎じいさんの帰宅だった。それも夏、鹿児島市内を売り歩き、引いて帰ってくる大八車に売れ残っている一つか二つの西瓜がお目当てだった。(中略)
それともう一つ、西瓜が不作のときや、いいものが手に入らないときのアイスキャンデーがあった。やはり大八車に、"アイスキャンデー"とペンキで大書された木箱が乗せられ、観音開きの扉をぱたりと開くとかき氷が詰めてあり、その上に荒塩を放り込んである。細長い丸棒をその氷の上からぐいぐいねじ込むと細長い丸穴が開く。そのようにして出来た穴に試験管がきれいに何本も並べてあり、試験管には割箸が一本ずつ入っている。(中略)
かき氷から試験管を抜くとまわりに着いた氷の白い結晶が二人のすきっ腹を刺激し、これも大八車に積んだバケツの水に試験管を漬けてやおら割箸を引っぱると、スポン!という快い音を残してキャンディーはすでに二人の口中にあった」
また、稲盛が紙袋の行商をしていた高校2年の夏、一緒に売り歩いていた中学を卒業したての子が暑さでフラフラになってしまうので、紙袋を売った代金でアイスキャンデーを買って、「疲れただろう。アイスキャンデーでも食べて元気を出していこう」と日陰でともに食べることもあったそうです。
これらのことがきっかけでアイスが好きになったのかどうかは、今となっては確認するすべはありませんが、経営者となり、80歳を超えてからも機会があればアイスクリームを食していた稲盛。それは兄と食べた懐かしい記憶とともに、ひとときの涼を稲盛に運んでいたことでしょう。