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稲盛和夫の生涯⑧ 誓詞血判状の誓い(1958年)

稲盛が松風工業を去ることが決まり、新会社設立の目途が立ってきた1958年12月、稲盛の部屋には、新会社に賭ける熱き思いを共有したメンバーが集まりました。稲盛を含む合計8人。1人を除いて全員20代という若いメンバーでした。
「やるからには成功してみせる」という決意や、会社経営という未知の世界に挑戦する緊張感などが加わり、高ぶる気持ちを抑えきれなくなった稲盛が「今日の感激を忘れないように誓いの血判をしよう」と叫ぶと、血の気の多い一同、「賛成、異議なし」と声を上げました。
メンバーの1人が「皆一致団結して、世のため人のためになることを成し遂げたいと、ここに同志が集まり血判する」と誓詞を書き上げ、全員が署名と血判をしました。その時に稲盛が言ったのは、「世の中は厳しい。心正しくとも志の通りにいかないときもあろう。そのときは一緒に駅の赤帽(駅構内での乗客の荷物運び)をしてでも耐え抜いていこうと思う。その気持ちだけは持っていてくれ」ということでした。この稲盛を中心とする同志的な心の結びつきが、京セラの原点となったのです。
写真:京都セラミック株式会社の設立準備をする稲盛(1959年1月)