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稲盛ゆかりの地を巡る-「鹿児島県立大学 工学部(現在の鹿児島県立短期大学)」

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稲盛ゆかりの地を巡る。今回は、稲盛の母校、鹿児島大学です。鹿児島大学といっても現在、工学部がある国立鹿児島大学(鹿児島市郡元)ではなく、稲盛が入学した1951年(昭和26年)、同市の下伊敷にあった鹿児島県立大学の工学部を紹介します。大学生活について、稲盛は後年、次のように語っています。

「その当時はまだ(国立鹿児島大学ではなく)鹿児島県立大学といっていまして、医学部と工学部だけの大学でした。下伊敷にあった旧陸軍の練兵場の兵舎が校舎でした。(中略) 私は、昭和26年に入学して30年に卒業しましたから、入ったときはまだ戦後6年しか経っておらず、校舎らしい校舎もありませんでした。兵舎の中で実験などをしていましたが、もちろん実験設備なども整っていませんでした」(鹿児島大学医系教員会議総会講演2008年6月)

「生活の上では、家から通える鹿児島大学がよかったのかもしれない。とにかく家にまったく余裕がなく、着たきりのジャンパーと下駄で通した。参考書はどれも高価で手が出ない。ほとんど毎日、図書館に詰め、勉学に明け暮れた」(『ガキの自叙伝』日本経済新聞出版社)

恵まれない環境の中、工学部応用化学科の学生として勉学一筋に取り組んだ稲盛の大学生活は、薬師町(現 城西)の自宅から3kmほどの下伊敷の大学、そして城山の図書館へと通い詰める日々だったことがわかります。

稲盛が卒業したのち、同大学の工学部・医学部は1955年(昭和30年)7月 国立鹿児島大学に移管され、現在の郡元への移転が完了したのは、1959年(昭和34年)のことでした。跡地となった下伊敷の校地は、当時の短期大学部が独立した鹿児島県立短期大学となって現在に至っています。

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1枚目:現在の鹿児島県立短期大学(提供:鹿児島県立短期大学)
2枚目:兵舎跡の研究室を背に、工学部応用化学科の同期たちと (前列右が稲盛)