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稲盛と"ベースボール"

2023年3月、WBCでの白熱した試合を観戦し、改めて野球のおもしろさに気付き、心打たれた方も多かったのではないでしょうか。1846年の今日、アメリカで史上初の野球の試合が行われたことから、6月19日は「ベースボールの日」と制定されたそうです。
戦後、日本でもプロ野球の人気が高まり、巨人軍の川上哲治選手をはじめとする実力あるスター選手たちは子どもたちの憧れとなり、ラジオ実況から伝わる選手の活躍は少年たちを夢中にさせました。
稲盛もそんな野球少年のひとりでした。高校時代は空が暗くなるまで草野球に没頭し、ボールやグラブを手作りするほど夢中になったといいます。そして社会人になってからも、昼休みや仕事終わりの夕方に職場の仲間たちを野球に誘ってはプレーしていました。当時のようすについて稲盛は次のように述べています。
「松風工業は給料も非常に安く、遅配するというような会社でした。すると、みんなの気持ちが沈んでしまうので、『野球でもしようよ』と言って、会社前の大きなグラウンドにみんなを連れて行き、私が指揮をとって野球をやっていました。
京セラを創業してからはグラウンドもありませんし、そういう暇もありませんでした。しかし、みんなにきつい仕事をしてもらっているだけに、なにかみんなをモチベートしたいと思っていました。(社屋の向かいにある)宮木電機さんとの間に道路があり、そこでボールとグラブを持って来てキャッチボールを始めました。私はもともと野球が好きだったので、みんなと一緒にやっていました』(京セラ50周年記念ビデオインタビュー)
まだまだ娯楽が少なかった時代。ひとつの白球を追う野球やキャッチボールは働く仲間の気持ちを鼓舞するだけでなく、皆の心をしっかりひとつにしていたのでしょう。


写真
1枚目:松風工業時代の野球風景 マウンド上の投手は稲盛
2・3枚目:盛和塾生とキャッチボールを楽しむ稲盛(2006年)