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稲盛和夫の生涯⑩ 京セラ創業期を支えた第1号製品「U字ケルシマ」(1959年)

230706

創業時の京セラ第1号の製品は、テレビのブラウン管に使われるU字ケルシマでした。これは、稲盛が日本で初めて合成に成功したフォルステライトを原料に用いた製品であり、テレビの爆発的な普及を受け、松下電子工業では従来の松風工業に加えて、開発者である稲盛が設立した京都セラミックに月20万本のU字ケルシマを発注してくれたのでした。創業したばかりの京セラには安定した売上が見込めるこの依頼はありがたいものでした。

しかし、創業時の京セラにあったのは、U字ケルシマをつくることができる最低限の設備のみ。松風工業時代と同じ製品をつくるといっても、ファインセラミックスは設備が異なると一からやり直しも同然でした。

原料の配合を小刻みに変え、来る日も来る日も実験を繰り返し、やっと良品が焼成できるようになっても、次には量産という大きな壁が立ちはだかります。何としてもつくり上げなければお客様に迷惑をかけ、せっかくの注文も失いかねない。また、U字ケルシマの生産に京セラの命運が懸かっているだけに、当時の稲盛の厳しさは松風工業時代の比ではなかったといいます。開発に行き詰まった担当者が泣き言を言おうものなら烈火のごとく怒り、部下からは「何を言っても怒られる」と思われるような激しい気迫でした。
しかし、厳しく叱られる中で何度もくやし涙を流した若い従業員たちはやがて、その稲盛の厳しさが、ものをつくる上ではわずかなミスもあってはいけないという、ものづくりに完璧さを求めているのだということに次第に気付いてゆくのでした。

全社員が「何が何でも」という思いで生産に取り組みました。時には食事を取ることさえ忘れて没頭する社員を気遣い、工場で食事を提供するようになると、そのまま会社に寝泊まりする者も出始めました。問題が起きればみんなが親身になって考え、互いに励まし、助け合って全員で解決する。入社してきた社員は自然と仕事に打ち込むようになりました。そんな強い心の結びつきを持った全社員の努力によって、U字ケルシマは量産に漕ぎつけることができ、日本のテレビブームを支えることとなったのです。