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稲盛ゆかりの地を巡る-「ロサンゼルス Stillwell Hotel」

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稲盛ゆかりの地を巡る。今回は1960年代、IBM社からの大口受注製品を無事に納品したことで、欧米市場拡大に更なる拍車を掛けるべく乗り込んだアメリカ最初の拠点ロサンゼルス。そこでの常宿となったStillWell Hotelです。当時の様子は京セラの社史に次のように記述されています。

「アメリカの国土は広く、客先は西に東に点在しており、米国丸紅のロサンゼルス支店に一室を借りて、そこを拠点に活動を開始した。西海岸の客先を訪ねたり、ニューヨークでのIEEEショーを機に東部の客先開拓に向けて東奔西走したりして、テキサス•インスツルメンツ(TI)社などいくつかの会社から、抵抗芯体などの押出品、絶縁部品を中心に引き合いが来るまでになった。

手応えをつかんだことで、いよいよ本格的に駐在員事務所を開設することを決め、19688月にまず奥野、続いて貿易部部長の上西、梅村を派遣して、ロサンゼルス丸紅飯田内に事務所を開いた。当時の宿舎は『スティルウェルホテル(Stillwell Hotel)』という安ホテルで、1 5ドル(約1,800円)で契約し、そこからワン・ウィルシャービルにある事務所へ出かけていくのだが、席を温めていることは稀であった。

2 人で見本を手にして客先を訪ね歩き、注文を取ってくると、契約の関係で丸紅を経由して日本へ発注する。テレックスを送ろうにも、丸紅のスタッフが帰ったあとになるのでたいてい深夜になった」
(京セラ社史『果てしない未来への挑戦 京セラグループ50年の歩み』(一部編集して引用)より)

当時の駐在社員によると、異国での活動を支える本社からの資金を極力節約し会社の負担を抑えるべく、経費節減に努めたというエピソードも残っています。例えば、稲盛と貿易部長、現地駐在社員で宿泊する際には、ツインルームに2ドルの子供用エクストラベッド を借りて、3人相部屋で寝ていたそうです。そんな安宿だから冗談めかして稲盛たちに「まだまし(Stillwell) ホテル」と呼ばれていたこの宿。実は現在のロサンゼルスでも健在でした。市場開拓に燃える往時の稲盛たちの熱気がしみ込んだかのような石造りの建屋は、そんな京セラの歴史を現在に伝えてくれているかのようです。

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1枚目:現在の Stillwell Hotel
2枚目:アメリカ出張での稲盛(左端)※写真はサンフランシスコ