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稲盛和夫の生涯⑬ マルチフォームガラスの開発(1960~1961年)
京セラ創業期の困難な挑戦の一つに、マルチフォームガラスがありました。マルチフォームガラスは、U字ケルシマに代わる電子銃の絶縁材料として欧米では1960年頃から使われ始め、日本でも松下電子工業が近いうちに切り替えるという話がありました。
当時、京セラではU字ケルシマは月産50万本にまで増え主力製品になっていましたが、これがゼロになれば、たちまち経営は揺らいでしまいます。単品生産に不安を感じていた稲盛は、すぐにマルチフォームガラスの開発に取りかかりました。
そうは言ってもガラス製造の技術も設備もありません。見本を取り寄せて研究を開始し、マルチフォーム用のガラスを溶かす炉は取引のあったガラスメーカーに頼み込んで貸してもらいました。取引先メーカーの仕事が終わる頃に訪問し、一晩かけて借りた設備でガラスを溶かし、会社に持ち帰って成形していく。技術や設備がない中でも、強い危機感から、決して諦めることなく試行錯誤を重ねることで、わずか8カ月で製品化を実現したのです。
京セラがマルチフォームガラスを完成させた頃、他のガラスメーカーでも完成品の売り込みを始めていましたが、それまでU字ケルシマを納めていた関係もあり松下電子工業に採用していただいた上に、他社からの受注も獲得することができました。その後、新規参入を考えていたガラスメーカーとの提携にもつながり、次々と販路を拡大し、最盛期には国内需要の85%以上を独占するほどになりました。
創業時の京セラにとって、誰もやっていないような技術開発は当然のこと、すでに確立された技術を再現するだけでもたいへん難しいことでした。しかし技術や設備がないことをできない理由にせず、客先の要望を知恵と努力でやり遂げることでセラミックスの可能性を広げ、その後も京セラは常に新製品開発、新規事業など、創造的な仕事に挑戦し続けたのです。
※マルチフォームガラスの開発に大きく貢献した「スバル360」の記事もぜひご覧ください。
https://www.kyocera.co.jp/inamori/library/facebook-archive/2020/20200625.html