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稲盛和夫の生涯⑭ 水冷複巻蛇管とネバーギブアップの社風

231109

京セラ創業当時を彩る多様な製品のうち、忘れてはならないもう一つの製品は、放送に使う送信管冷却用の「水冷複巻蛇管」です。外径30cm、内径20cm、高さ60cmの大きな磁器製の円筒で、二重らせん状に穴があいていて冷却水を通すという複雑な構造でした。戦前につくられたものと思われ、すでにつくれる技術者はなく、さらに設計図もなく、技術力で定評のある碍子メーカーでも辞退した製品でした。困った三菱電機が、京セラに依頼されたのです。

提示された金額は、当時の京セラには魅力的であり、専務であった青山が「なんとかなるだろう」とその複巻蛇管の制作を請け負ってきました。しかし複巻蛇管は大きすぎる製品で、もちろん生産する設備などありません。稲盛も「いくら何でも大胆すぎる」と驚きましたが、今さら「できません」とは言えない状況でした。

一旦引き受けたからには、何がなんでもやり通す稲盛。「やるしかない」と腹を括り、粘土の押し出し機に自作した二つ穴の大きな口金をつくり、押し出した粘土を外径20センチの柱に巻き付け、中空のらせん状パイプをつくっていきました。

しかしサイズが大きいため、成形して乾燥させる間にクラック(ひび割れ)が入って割れてしまいます。その原因は、内側と外側の乾燥する速度が違うことにありました。

外側の部分だけが先に乾燥するとクラックが入ってしまいますから、均一に乾燥させていかなければなりません。しかも、急激に乾燥させても割れてしまうので、まだ乾ききらない柔らかい製品をウエス(布きれ)で巻いて、霧を吹きかけて一旦湿らせ、そこからじわじわと全体を乾かしていったのです。さらに、重みで形が崩れてしまわないように、夜中、窯の横の適当な温度のところでそれを抱いて、ゆっくりまわしながら乾かしていきました。

こうして、最初は10本のうち23本しか取れなかった良品が、10本中、78本まで取れるようになり、34カ月後にようやく完成しました。

何がなんでもという稲盛の執念は、ベテランの碍子メーカーが辞退したものを京セラにできたという満足感と自信を従業員たちに与えるとともに、京セラに「ネバーギブアップ」の社風をつくることにもつながりました。

写真:稲盛ライブラリーに展示されている水冷複巻蛇管(複製)