Facebookアーカイブ
寄稿「魂を込めて語りかける」(『PHP』1986年9月号)

京セラを創業して間もない頃、何を拠りどころにして経営判断を行えばよいか悩んでいた稲盛は、その答えを求めてさまざまな書物を読んだといいます。その時に出合ったのが、稲盛が尊敬する松下幸之助氏によって創設されたPHP研究所の機関誌『PHP』という雑誌でした。「人間はいかに生きるべきか」について語られている『PHP』の小冊子を稲盛はむさぼるように読みました。
また、京セラの全社員で購読を始め、共通の判断基準、人生の指針を学ぶ教材として、その後長きにわたり活用しました。京セラを創業して間もない頃、何を拠りどころにして経営判断を行えばよいか、悩んでいた稲盛は、その答えを求めてさまざまな書物を読んだといいます。その時に出合ったのが、稲盛が尊敬する松下幸之助氏によって創設されたPHP研究所の機関誌『PHP』という雑誌でした。「人間はいかに生きるべきか」について語られている『PHP』の小冊子を稲盛はむさぼるように読みました。また、京セラの全社員で購読を始め、共通の判断基準、人生の指針を学ぶ教材として、その後長きにわたり活用しました。
そのように縁の深い雑誌『PHP』から、「組織や会社で人を動かし、うまくつきあっていくためにどのように説得力をつけていけばいいのか」というテーマで取材を依頼された稲盛は、1986年9月号に「魂を込めて語りかける」と題して寄稿し、冒頭で次のように説いています。
「よく、話を聞いていると、どことなく言葉に"遊び"を感じる話し方をする人がいる。概してそういう人は話が巧みで、言葉が流暢である。黙って聞き流している段には、実に耳ざわりがよいのだが、よくよく聞いてみると、やたらに修飾語ばかりがならんでいるだけで、少しも中味のない場合が多い。
おそらく、本人にすれば、それが話し上手で、説得力のある話し方だと思っているのであろう。なかには、衒学的な話しぶりにまどわされ、説得力があると錯覚する人もあるかもしれない。が、私は少しも魅力を感じない。むしろ、軽薄な感じがして、真剣に話をする気がしなくなる。さらにいえば、その人の人間性までがうすっぺらなものに思えてくるから不思議だ。だから、若い人たちには、こうしたうわべだけの"話し上手"を真似してほしくない。トツトツとした語り口でもよいから、魂からほとばしりでた言葉でしゃべってほしいと思うのである。
自分のことをいうのもなんだが、私は会議などの席で一時間ほど話すとものすごく疲れる。少し休まないと身がもたないほどで、それほど全身全霊を込めて話す。
かといって、私はうまく話そうとか、説得してやろうとか意識してそうしているわけではない。私には巧みに言辞を弄する術など持ち合わせていないので、ただただ、自分の考えをストレートに一生懸命述べているに過ぎないのである。もし私の話し方に説得力があるとすれば、また、時として私の話し方が激しいと指摘されるのも、無意識のうちに全身全霊を傾けて話すからではないだろうか?」