Facebookアーカイブ

稲盛和夫の生涯⑰ 初の自社工場にかけた思い

240321-1

待望の自社工場である滋賀工場が完成したのは、稲盛が31歳の時。それまで間借りの本社工場で拡張をしながら製造を行ってきたため、待望の工場でした。

1963年5月に工場1棟と独身寮が竣工。敷地のほぼ中央に完成した新工場は約1,200平方メートル。まだ空いている敷地のあまりの広さに驚いた社員たちは、「こんなとてつもない場所、どうするつもりだろう」と言い、工場建設を中心となって進めてきた担当者も当時は、これが最初で最後の工場建設だと思っていました。

しかし、3年後には2期拡張工事、3期拡張工事となり、さらに1969年に川内工場、1972年には国分工場の建設へと、社員の予想をはるかに超えるスピードで、京セラの事業は拡大していったのです。

自社工場第1棟が完成した時、稲盛は「京セラのものづくりの理想を追求し、社員が生き生きと闊達(かったつ)に仕事をして会社と社員が一体となって成長していけるような理想郷としたい」という思いを込め、次のような設立趣意書を表しました。

「敬天愛人を座右の銘とし、人格の陶冶と仕事に徹するの信念を京セラ精神とする。
常に技術の向上をめざし、未知の世界に挑み、他の造り得ないものに好んで取り組み、独創力を発揮し、不可能を可能にする。
互いに赤裸々な気持ちで話し合い、討論のできる場であり、陶冶された各人の人格と気力がそのまま、京セラという法人に人間性の息吹を与え、京セラを顕現するとともに、各人が京セラに融合して一体となる。
部下の喜びを喜びとし、悲を分ちあい、京セラの繁栄を自己の繁栄とし、京セラの苦難を自己の苦難として、その解決に熱と希望を持つ。
お互いに信じあい、心と心の結びつきを第一とし、京セラ人としての誇りと無限の喜びを感ずる。
人里離れた滋賀県下蒲生赤坂町の丘に、京セラの一大ユートピアを創造せんとする」(設立趣意書より)

また、第4棟が完成した1967年2月には、「お客さまに喜ばれ、お客さまの利益になるような製品をつくるためには早く会社へ出て、早くあの仕事を仕上げたいと希望を胸にふくらませながら出勤し、楽しみながら仕事に取りかかれる環境にしなければならない」との思いから、工場に植物を植え、運動場を整備し、「工場の公園化」と称して、工場とは思えないほど美しい清潔な工場を目指したのです。

240321-2

240321-3


写真
1枚目:1963年 第1棟完成時
2枚目:1969年 本館完成、徐々に拡張と整備が進む
3枚目:1980年代前半