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寄稿㉑「自由貿易体制と世界連邦」(『Voice』1991年1月)

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ベルリンの壁の崩壊やソ連・東欧における体制改革の劇的進展など、198990年に生じた一連の出来事は戦後の米ソ二超大国による対立構造を根本的に変化させたが、それによってすぐに平和がもたらされたわけではありませんでした。むしろ世界経済のブロック化が進み、孤立主義や閉鎖主義に傾斜していく恐れがありました。このような情勢下において、稲盛は1991年の『Voice1月号に「自由貿易体制と世界連邦」と題して寄稿し、戦後の日本を経済大国に押し上げた最大の条件である自由貿易体制を今後も機能させ続けるための方法として、次のように国際分業体制の必要性について説きました。

「それぞれの国が相対的に強い産業と弱い産業とをもっているから、お互いに分業によって相互補完しあう関係をつくっていくなら、自由貿易はもっと正常に機能するはずである。ある産業では日本が強く、またある産業では米国、またはECが強いとするなら、日本が弱い分野のものを世界中から買うことができるわけで、分業を進めていくことがもっとも理想的であることは誰にでもわかることである。

あるものは自分の国がつくって世界中に売り、別のものは他の国がつくって世界中に売っているのを買う。これが自由貿易の理想の姿だといえよう。

すべての産業が強すぎたのでは、日本は世界の孤児になってしまう。私は学生時代のことを思い出すが、たいへん頭がよくて勉強もできる、音楽もうまい、絵を描かせても上手という人間はあまり人気がなかった。勉強はできるが運動は得意でない、または、スポーツ万能だが教室ではもうひとつというように、若干の欠点をもっているもの同士がその欠点を補い合ったときに、初めて友情が生まれたことを思い起す。こういうことは、世界の国々が仲良くしていくための教えではなかろうか。すべての産業が強い競争力を発揮して他の国の製品を駆逐していては、世界中と貿易摩擦を起して世界の孤児になってしまうと思う。

(中略)やはり、欠点も長所ももちつつ、お互いによいところを認めあい、生かしあっていくことこそ、日本が世界のなかで生きていく姿ではないかと思うのである」