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社員が語るエピソード「稲盛名誉会長との思い出」⑥

※このエピソードは2022年に京セラ社内報特別号掲載用として社員から寄せられた思い出のエピソードです。表現、言葉づかい等は出来る限りオリジナルのままにしています。
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2011年3月11日(金)に発生した東日本大震災。この時私は、福島県棚倉工場(※2016年閉鎖)の工場長をしていました。アスファルトの工場駐車場が水面のように波打ち、亀裂が入り、地響きと工場建屋の大きな揺れが、今も忘れられません。
幸いなことに、社員は全員怪我もなく無事でした。すぐに職場ごとに点呼を行い、社員は帰宅。翌土曜日、日曜日は、工場幹部で出勤可能な社員が、被害の確認と片付けに出勤していました。この間も電話やメールがつながらず、原発も被害が出て放射能汚染が広がるかもしれないと不安な状況でした。
14日月曜日は、多くの社員が出社し、工場内外の片付けに入ってくれました。私も玄関先で被害状況を見ていたのですが、そこへ中途入社で入ったばかりの総務の女性が小走りでやってきます。「工場長、工場長。今、稲盛さんって方から電話が入っています。稲盛さん??もしかして・・・」。
「えっ、まさか。まだ電話も復旧していないんじゃないか」と思ったのですが、すぐ事務所へ戻って電話を取ると「〇〇くん、久しぶりだな。しかし大変なことになったな。どうだ、社員は無事か。大きな試練になると思うが乗り越えてくれ。期待しているぞ」と稲盛名誉会長の温かい声が聞こえました。
「お見舞いの電話を頂き、ありがとうございます」と言ったのですが、緊張していてそのあとどのように話したのか、はっきり覚えていません。大震災の直後で、これからどうすればよいのか気持ちも大きく落ち込む中で、これほどうれしく勇気付けられたことはありませんでした。
本社からの最初の電話が稲盛名誉会長であったことは、すぐに社員にも知らせました。企業トップが社員を気遣うことの大切さを、身をもって知った出来事でした。
京セラ株式会社 元福島県棚倉工場 工場長