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社員が語るエピソード「稲盛名誉会長との思い出」⑧

※このエピソードは2022年に京セラ社内報特別号掲載用として社員から寄せられた思い出のエピソードです。表現、言葉づかい等は出来る限りオリジナルのままにしています。
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私が本社の独身寮の寮長をしていた1982年頃の思い出です。
ある時、土曜出勤の仕事中に、外勤営業の寮生が交通事故で亡くなるという、不幸な事故がありました。寮は寮生にとって家であることから、寮でお迎えすることになり、準備を整えました。土曜日で外出している寮生も多かったのですが、連絡を取り合いながら、買い物に走る者、部屋を片付ける者など分担を決めて準備を進めました。
亡くなられた寮生のご両親が遠方のために、京都に到着されるのが翌朝になるということで、燈明と線香を絶やさぬようにと寝ずの番を決めている時に、稲盛社長(当時)が、米国出張から帰国したその足で、寮にお見えになりました。
焼香を上げられてから、稲盛社長は周りにいた我々に、これまでの事を尋ねられ、寮生へのねぎらいの言葉を頂きました。「ありがとう、ありがとう。ご苦労さんでした。寮生でこれを飲んで亡くなられた方を弔ってあげてください」と。おそらく伊丹空港から寮にまでの間に、お店に立ち寄られて買われたと思いますが、ウィスキーのカートンを1箱、我々に託されました。
忙しい身でありながら、しかも出張からの帰宅途中に焼香に立ち寄るということに、我々寮生一同、非常に感激したことを覚えております。
また、寮生への心配りとして、ウィスキーをわざわざ買い求めてから、お見えになるという配慮を瞬時にされたことに、改めて我々は感動しました。こういう社長がいる会社で働けて良かったと、しみじみと感じたのを今でも覚えております。
京セラ株式会社社員
写真:1982年頃の稲盛(京セラ国分工場にて)稲盛は社員一人ひとりとのつながりをとても大切にしていた。