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稲盛和夫のエピソード「稲盛と考古学―中国 良渚遺跡―」

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今からちょうど30年前の19954月、稲盛は中国浙江省杭州市にある良渚遺跡を訪れました。上海から特急列車と車を乗り継いで約4時間、菜の花畑の点在する平野にある、なだらかな丘陵地帯に、その遺跡はありました。今から約5,000年以上前に、稲作文化の起源となった長江文明の痕跡が、その遺跡に眠っているというのです。

国際日本文化研究センターの梅原猛先生の熱意に共感し、京セラとして、長江文明学術調査プロジェクトに資金協力を申し出た稲盛でしたが、当初は、自身にとって考古学は、完全に門外漢だと考えていました。しかし、遺跡からの出土品「玉器」を目の当たりにした稲盛は、現代の技術をもってしても不可能と思われる超精密な石材加工の技術に、たちまち目を奪われました。
そのことを稲盛は次のように述べています。

「玉器とは、宝石の原石となる緻密で硬い石を加工してつくった、王侯貴族の権威を象徴するための装飾品である。私は、5000年以上も前の精密な加工技術に驚くとともに、いつしかその製作方法に思いを馳せていた。京セラ創業以来、私は、玉器と同じ無機材料である、ファインセラミックの開発に懸命に取り組んできた。ファインセラミックは加工が極めて難しい素材であり、正確な寸法精度を実現するには、原料を精製し、成形して高温で焼き上げるという製造工程のすべてにおいて、高度なレベルが求められる。京セラは創業以来、そのような難しい技術の確立に努め、その甲斐あって、現在ではファインセラミックは半導体や自動車など最先端の産業分野で多く用いられるようになっている。

私は、そのようなファインセラミックの無限の可能性を信じ、自らその研究開発の先頭に立ってきただけに、良渚文化博物館で、玉器を実際に手にとり、直に観察する機会を得たとき、古代の高度技術に対する驚きはさらに深いものとなったのである」(『長江文明の興亡』序文「発刊に寄せて」より)

その後、稲盛は京セラの技術者たちで「玉器プロジェクト」を立ち上げました。玉器の加工方法を解明する中で、古代に存在した高度な技術に対する敬意を抱くとともに、そのような高い技術レベルに達した民族は、恐らく精神的にも高い領域に達していたに違いないとも考えるようになり、稲盛のこの時代に対する思いは、さらに強いものとなったといいます。出土品を通じ、時を超え古代の技術者への畏敬の念を覚えたこの経験は、稲盛にとってかけがえのない貴重なものとなったのでした。

写真:
1枚目 長江文明への思いを語り合う梅原猛氏と稲盛 © 撮影 林義勝
2枚目 稲盛撮影「大英博物館収蔵 良渚遺跡遺物」1995
3枚目 中国浙江省羅村姚家屯遺跡出土(良渚遺跡)1995年 
稲盛自身の採掘による出土品。終生、執務室に置かれていたもの

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