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稲盛ゆかりの地を巡る-「隠れ念仏」鹿児島市小山田町

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稲盛ゆかりの地を巡る、今回は稲盛の人生と経営の源流とも言われる宗教体験「隠れ念仏」(参考記事→2022/12/1 Facebook記事 稲盛和夫の生涯③ 稲盛の思想に大きな影響を与えた「隠れ念仏」)が行われた鹿児島県小山田(こやまだ)町です。

「隠れ念仏」については、先の記事に詳細がありますので、ここでは割愛しますが、稲盛の父 畩市の故郷である小山田は、隠れ念仏の習わしが根強く残る地域で儀式に参加することは通過儀礼のようなものであったと、言われています。
小山田町は鹿児島市の中心部から北西の山間に位置し、郡山地域から甲突川が南東方向に流れる川沿いの町で、現在では国道3号が東西を通り、国道328号が小山田町交差点から分岐している道路の便が良い場所にありますが、稲盛の「隠れ念仏」の記憶には幼少期に歩いた暗く険しい山道のイメージが残っています。

自身が小学校に上がるか上がらないかという頃、他の何組かの親子といっしょに、日没後の暗い山道を提灯(ちょうちん)の明かりを頼りに登っていく中で、みんな無言で、なにか恐ろしいような神秘的な思いに浸されながら、幼い稲盛も必死で父親の後をついていったそうです。作家の北康利氏は稲盛の評伝執筆の取材で小山田を訪れた体験を次のように書いています。

「集会があることは秘密であり、そこに行くまで会話してはならないのが決まりなのだ。筆者も、おそらく稲盛がそこに行ったと思われる栗(くり)ノ迫(さこ)という場所まで車で連れて行ってもらったが、細くて急な坂道をどんどんあがっていくのに驚いた。子どもが夜道を歩いたのだとすれば相当心細かったろう」(『思い邪なし』北康利著 毎日新聞出版社 より)

稲盛は、そんな心細い思いをしながらも、隠れ念仏の儀式に参加することで、大人から「今日のお参りでもう済んだ」ことを告げられ、これから毎日仏さまに「なんまん なんまん ありがとう」と感謝の気持ちを唱えることを教わったと言います。その言葉がもたらす謙虚さや優しさの気持ちはやがて、自分はさておき、みんなのために尽くすという「利他の心」となって稲盛の人生を支える核となっていったのでした。

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1枚目:現在の小山田の風景(山間から甲突川を望む)
2枚目:小学校入学時の稲盛(中央)