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稲盛ゆかりの地を巡る-「松風工業 特磁課跡地(京都府長岡京市東神足)」

稲盛の社会人としての原点、松風工業時代に関するゆかりの地は、本コーナーの初回(小畑川の記事)で紹介していますが、今回は稲盛が職場でリーダーを務めていた「特磁課」の建屋位置について紹介します。
当時の工場敷地内の北東の隅に「特磁課」の建屋はありました。ここは稲盛が泊まり込んで新材料の研究開発をしたり、部下にファインセラミックスに懸ける思いを説き続けた製造現場でもありました。そして、お客様の信頼を裏切るわけにはいかないという一心から、ストライキを破ってまで納品を続けたその場所が、下図の小畑川沿いの角地(京都府長岡京市東神足2丁目)にあたります。
稲盛は、ストライキが実施された当時の対応を次のように語っています。
「私はスト破りしてでも生産を続ける腹を固め、特磁課の全員を集めた。『(略)お得意さんに見放されてしまったら会社は倒産の崖っ縁に立たされる。賃上げどころか、我々は明日の生活の糧さえ失ってしまう。特磁課はストに加わらず、生産にまい進したい。ついてはみんな工場に籠城してくれ』一日でも生産をストップしたらお客様がどれだけ困るか、皆よくわかっていた。日ごろ、飽きもせず私が仕事の意義を説いてきたことも皆の頭にあったのかもしれない。一同スト不参加を決めた。会社の玄関では組合員がピケを張っているので、一度工場に入ったら出られなくなる。そこで、私は手持ちの金をすべてはたいて缶詰やら非常食を買い込み、燃料やふとんを持ち込んで会社に泊まり込んだ。問題は製品をどうやって出荷するかだ。特磁課に一人の女性がいた。彼女は籠城させるわけにはいかないので、その代わり毎朝、工場の裏の塀越しのところに来てもらった。私が朝早く人目を忍んでこん包した製品を放り投げる。塀の外でまち構えていた彼女が受け取って届けるというわけだ。この女性が、のちに私の伴りょとなる」(『ガキの自叙伝』より)
この記述からは、稲盛の信念・責任感といった仕事に対する姿勢や哲学(フィロソフィ)、組織が一体となってベクトルを合わせることなど、京セラの今につながるさまざまな萌芽が確認できます。そんな数々の原点が生まれた場所、それがこの松風工業の特磁課だったのです。
写真
1枚目:特磁課建屋の跡地は現在ではコインパーキングとなっている。スト破りの際、製品の受け渡しをした塀は小畑川に面したこの辺りと推測される。
2枚目:当時の松風工業全景から見る位置関係
3枚目:松風工業株式会社神足工場正門前の跡地。特磁課の建屋からやや北西に位置し、特磁課跡地の先には小畑川が見える。
