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水中通信がつなぐ、海と人の未来──テクノロジーが開く"最後のフロンティア"

目次

    人はなぜ海の奥深くへと挑むのか?

    ここが文字です(左)

    地球の表面の7割を覆う海。その大部分は、いまだ人類にとって“未知の領域”です。月や火星の表面よりも、私たちは深海のことを知らないとさえ言われています。それでも人類は長い歴史のなかで、海の奥深くに挑み続けてきました。

    ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』では、ノーチラス号に乗った主人公たちが、深海の森や沈没船、巨大なイカが潜む暗黒の世界を旅します。光も届かぬその静寂の空間には、地上とはまったく異なる自然の営みと、無数の未知が息づいています。150年以上前に描かれたこの物語は、今なお人々の想像力をかき立て、海の奥深さへの興味を呼び覚まします。

    実際、人類は太古から海を探り続けてきました。古代の星を頼りにした航海から、大航海時代の冒険、19世紀の深海測量、20世紀の潜水艦やソナーの登場へ、そして今日では無人探査機やAIが、海底の地形や生態系までも克明に描き出しています。それでも、海の大部分はいまだ「地球最後のフロンティア」と呼ばれるほど謎に満ちているのです。

    深海に広がる未来の可能性

    テクノロジーが描く、海の新しい日常

    かつては人が足を踏み入れることすら難しかった海の深部も、いまやテクノロジーの力で“日常の現場”へと変わりつつあります。もし、海の中でもリアルタイムにデータをやりとりできるようになったら——何が起こるでしょうか?

    ダイバー同士が水中で自由に会話しながら、まるで宇宙飛行士のようにチームで協力して調査や作業を進められる。迷うことなく、安全に、効率的に。海底を移動するロボットは、遠隔操作ではなく、自律的に判断して行動し、壊れた設備を修理したり、生態系の変化を観察したりする。深海の“現場”が、まるで地上の工場や研究所のように賢くなっていくのです。

    水中に浮かぶ無数のセンサーが、海流や水温、生物の動きをリアルタイムで伝え続ければ、海の「今」をまるごと捉えることだって夢ではありません。それは、地球という星の呼吸を感じることでもあるのです。

    深海資源と環境を守る、海洋調査の今

    深海には、エネルギー資源や希少金属など、未来の産業を支える重要な資源が眠っています。地震や津波の監視、海底ケーブルの点検、環境調査や生態系の観測など、海洋に関するさまざまな活動は、人間社会の安全と未来の持続可能性にとっても欠かせません。

    たとえば、海底資源の調査では、メタンハイドレートやレアアース泥の分布状況を正確に把握することが求められます。膨大なデータ通信を担う国際海底ケーブルの敷設・保守も、海底の地形や障害物を正確に読み取ることが不可欠です。また生態系などの側面では、赤潮の発生やサンゴ礁の白化など、環境や生態系の異変を継続的にモニタリングする取り組みも進んでいます。

    海を変えるロボットの進化

    そうしたなかで登場したのが、AUV(自律型無人潜水機)やROV(遠隔操作型無人潜水機)といったロボティクス技術。これまで人が立ち入れなかった深海を探査・作業するための“海の相棒”として、世界中で活用が進んでいます。

    1989年に日本の有人潜水調査船「しんかい6500」が試験潜航で水深6,527メートルに到達。以降、数々の有人・無人探査機が日本近海の海底地形や火山活動を調査してきました。なかでもAUVは、あらかじめ設定されたルートに沿って自律的に航行・撮影・測定を行うことができ、人が立ち入れない空間でも確実な情報収集を可能にします。

    水中通信を阻んできた“見えない壁”

    しかし、いかにロボットが進化しても、海の中で「正確な情報をやりとりする」ことができなければ、その力を十分に発揮することはできません。探査機がどこにいて、何をしているのか。センサーで得られた情報を、どうやって地上に伝えるのか。水中での“通信”は、これまでずっと海洋開発のボトルネックとなってきたのです。

    人類がなぜ海を目指すのか。その問いの先に、「水中通信」が未来の扉を開くキーテクノロジーとして浮かび上がってきています。

    電波が届かない水中と陸上との大きな違い

    空を飛び交うドローンや、スマートフォンを介した位置情報共有。私たちは日常的に、無線通信によって大量のデータを瞬時にやりとりしています。ところが、こうした技術は水中ではそのまま使えません。理由は、「水」という物質そのものにあります。

    電波は空気中では遠くまで届きますが、水中に入ると急速に減衰します。特に、Wi-Fiやスマートフォンで使われている高周波の電波は、水分子によって吸収されてしまい、数メートルも進めば通信が困難になります。つまり、私たちの生活を支える「無線」の常識が、水中ではまったく通用しないのです。

    水中通信の課題 音波と有線接続の限界

    この課題に対し、これまで用いられてきたのが音波による通信です。音波は水中でも比較的遠くまで届くため、潜水艦同士のやりとりや魚群探知などに利用されてきました。しかし音波通信には、致命的な欠点があります。それは「遅い」こと。データの伝送速度がきわめて低く、映像や大量のセンサーデータなどをリアルタイムで送るには力不足です。さらに、ノイズや干渉の影響を受けやすく、深海では安定した通信が難しい場面も多くあります。

    そこで、もうひとつの選択肢が、有線による接続です。ロボットと母船をケーブルで直接つなげば、高速かつ安定した通信は実現可能ですが、その分自由な動きが制限され、設置や運用にかかるコストも高くなります。長距離・多拠点での展開には不向きで、広範な海域をカバーするには課題が残ります。

    このように、水中通信には「電波は届かず、音波は遅く、ケーブルは不便」という3つの壁が立ちはだかってきました。人と機械が水中で協力しながら作業をする際に不可欠なリアルタイムでの高品質な情報共有。それを実現するには、これまでとは異なる新たな通信手段の登場が、今大きな期待を集めています。

    未来をつなぐ“光のチカラ”

    水中通信の未来を担う「可視光通信」の可能性と課題

    水中通信の壁を乗り越える新たなアプローチとして、近年注目を集めているのが「可視光通信」です。これはその名のとおり、私たちの目に見える“光”を使って情報を伝える通信方式。LEDの高速な点滅を利用してデータを送受信する仕組みで、すでに陸上では次世代無線技術「Li-Fi(ライファイ)」としてオフィスや工場などでの活用が進んでいます。

    この可視光通信が水中で注目される理由は、その直進性と高速性にあります。電波のようにすぐに減衰せず、音波と比べてはるかに大量の情報をスピーディーに伝えることができます。しかもケーブルを使わずに、高精度な通信が可能になる――そんな可能性を秘めているのです。

    もっとも、水中環境は決して理想的とは言えません。光は水中での散乱や濁りの影響を受けやすいため、常に安定した通信を行うには、高度な制御や環境に応じた最適化が欠かせません。京セラでは、光による水中通信という新たなアプローチに挑んでおり、水中でも高速・高精度な通信を可能にする可視光通信の技術実証を進めています。ご興味をお持ちの方は、ぜひ以下の記事をご覧ください。

    水中通信の常識を変える。京セラが挑む可視光無線通信の最前線

    水中で利用可能な無線通信方式として、音波や電波を用いた無線通信が存在しますが、これらの方式には限界があります。音波通信は低速かつ高遅延、電波通信は通信距離が短い――。海の中では、陸上では当たり前となっている「高速・大容量、長距離、低遅延」の無線通信を実現するのは、決して容易ではありません。

    この課題を根本から解決するのが、京セラが開発したGaN(窒化ガリウム)レーザーを用いた水中可視光無線通信技術です。

    広がる応用と社会実装のシナリオ

    可視光通信のような新たな技術が、水中での高速・高精度な通信を可能にしつつある今、私たちの暮らしや産業のかたちも、大きく変わりはじめています。

    港湾インフラの未来

    たとえば、これまでは人の目や経験に頼っていた港湾インフラの点検業務が、今では水中ドローンによって遠隔から行われるようになりつつあります。もしこれらのドローンと陸上側とがリアルタイムで通信できるようになれば、異常箇所の特定やデータの即時共有が可能になり、点検や修繕の効率は格段に向上します。

    ロボット・AI、水産業・防災分野への応用

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    海底では、AUVが活躍の場を広げています。これまで人が立ち入れなかった危険な海域や深海でも、AUVが代わって探査や作業を行う時代が始まっています。通信が自由になれば、こうしたロボットにAIを搭載し、現場で判断しながら動く「自律型作業」も現実味を帯びてきます。

    水産業でも可能性は広がります。たとえば、養殖場でセンサーが水温や酸素濃度をリアルタイムでモニタリングし、その情報を遠隔地の管理者が即座に把握できるようになれば、病気の早期発見や最適な給餌の判断につながり、持続可能な漁業の実現にも一歩近づきます。

    さらに、その活躍は災害時にも期待されています。海底地震の兆候を察知したセンサーが、水中通信によってすばやくデータを送信できれば、津波などの早期警戒につながるかもしれません。

    未来へ広がる海の可能性と水中通信

    こうした未来像の鍵を握るのが、まさに「水中通信」の進化です。通信の制約から解き放たれたとき、海の中には新たな産業、そして新たな日常が広がっていく——、それは、“最後のフロンティア”と呼ばれる海に、人とテクノロジーが本格的に共存していくための第一歩なのです。

    本記事では、水中での通信にどんな困難があったのか、そしてそれを乗り越えることでどんな未来が開けるのかをご紹介してきました。いまだ多くの謎を秘める海。その深淵と、私たちの世界がつながる日は、もうすぐそこまで来ています。

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