OIA Open Innovation Arena
  1. Home
  2. オープンイノベーションアリーナ
  3. Column
  4. 【連載:第2弾】「ぶっちゃけ教えて!量子コンピュータが普及したら生活はどう変わる?」

オープンイノベーションアリーナ

【連載:第2弾】「ぶっちゃけ教えて!量子コンピュータが普及したら生活はどう変わる?」

研究段階から40年の歴史を持つ量子コンピュータ。展示会や講演会に参加すると量子コンピュータについての実用例があちこち見受けられます。
ところが、専門家以外の人からすると、「普通のコンピュータと何が違うの?」「なんだか難しそう」「30年先の話」「正直自分にどんな影響があるか分からない」と感じていませんか?

今回編集部では、皆さんの疑問やモヤモヤを量子コンピューティングの最先端を研究されている東北大学の大関先生にお聞きします。
「ぶっちゃけ教えて!量子コンピュータが普及したら生活はどう変わる?」
ぜひお読みいただければと存じます。     

<著者紹介>
東北大学大学院情報科学研究科情報基礎科学専攻・教授
東京工業大学理学院物理学系・教授
大関 真之(おおぜき まさゆき)

量子の誕生

 連載というのはどういう流れで盛り上げていくのか、執筆の際には大変苦慮する。
 とりわけ量子コンピュータがどのようなシーンで利用されるのか、それを知りたいとすると実際に何に使われるのかを伝えれば良い。それはそれで連載は終わってしまうし、夢物語に感じるだけで終わってしまう。それではせっかくの読者の時間はもったいない。
 この連載では量子そのものへの興味関心へ逃げずに挑み、ひとつひとつ量子の世界を知ってもらうことが重要なのかもしれないと覚悟を決めて、ゆっくりと解説をしていくことにする。

 そもそも量子力学というのは原子や分子、そのような物質の根源にあたるものを理解するために生まれた学問である。原子というものの存在はどうやらギリシャ時代から哲学的に考えられていた。近代的な科学として考えられたのはドルトンの考察によるものである。気体の化学反応は必ず比率を持って規則的に起こる。さまざまな組み合わせを考えてみると、どうも整数比でさまざまな物質が化学反応で消費され姿を変えて新しい物質となっている。これは実は物質の根源体が存在して、その根源体がベースとなって新しい物質ができていると考えられる。その根源体同士が結びつくのが、整数比となる秘密につながっていると考えた。今日ではH20などといった馴染みのある化学記号により物質を表すことができることは当たり前となっているが、水素が2個、酸素が1個というペアで化学反応をするからということを反映している。そして酸素にはなぜか2本の手が伸びていて、水素の一本の手と結びついているのだろう。この根源体は原子と呼び、化学反応の結果、結びついたものを分子と呼ぶ。原子から伸びる手は、今日では共有結合を担う電子により確かに存在するものであることがわかっている。

 こうした原子は目に見えるわけでもなく、想像上の、または説明上の便宜であった。化学の進展に伴い、その理解は深まり、その存在は確かなものとなっていった。しばらくしてファラデーを始め、複数の研究者は金属に強い電場をかけたり、熱を与えたりすると金属から何かが飛び出すという現象を見出した。これは今日では陰極線の実験として記録されている。電気的な力の影響を受けて、その軌跡は曲がり、その正体はマイナスの電荷を帯びたものと判明したため、陰極線と呼ばれる。この陰極線は電気的な影響だけでなく、磁石による影響も受ける。その軌跡はニュートン力学、大きな球や目の前にありふれた物体の軌道を予測する方法で十二分に理解されるものであった。陰極線の正体として、そうした事実から、小さい玉、それこそ粒であるということが想像された。さらにはこの陰極線は、さまざまな金属について試してみたところ、どの金属についても同様の現象が見出された。この出てくる陰極線は金属に共通のものである。金属といえば導電性が共通の性質として思い起こされる。
 そう電子が発見されたのだ。原子は物質の根源体と思われたが、その構成要素には電子が含まれる。こうしてさらに原子は構造体として想像を膨らませるものとなっていったのだ。

 高校の教科書にも掲載されていたかもしれないが、のちにはミリカンの油滴実験というものがあり、電荷を帯びた油滴に、電場をかけながらその動きを観察することで、その重さと電気の影響を受ける度合いとして電気量の関係が調べられた。どうやら電気量を調べてみると、ある数字の整数倍であり、電子は粒として存在していることが確実視されていった。しかし当時は、観測できないものの実体を信じることは受け入れ難いとする学者も存在し、その存在を簡単に受け入れたとは言い難いようである。
 これが今から120年ほど前の空気感である。
 ただこのとき、人々は原子の存在も電子の存在も「粒」としてイメージしていた。
 そして実際に目の前にある物質と同じ力学に支配されていた。それもあり想像がしやすく人々の想像に乗っかりやすかったとも言える。

 ここで話は全く別物に変わって、光である。全く別物である。
 短い文章では2つの話を混ぜると読者が混乱するからやめなさいというのがセオリーと思われる。しかし研究の舞台では、異なるものを知ることで、両者の共通項と相違点を並べ、そこから理解が進むことがよくある。一研究者として僕は読者に研究者になってもらいたいと思って勇気を出して異なる話を持ち出す。
 光について、である。
 光の正体というのも人々の好奇心をそそるものである。1600年代は、光はホイヘンスによる波動説、ニュートンによる粒子説が同時代に提唱され、どちらが光の正体として適切であるか、謎のままであった。1800年代にヤングの有名な干渉実験により光の正体は波であるというのが優勢となった。
 ヤングの行った実験では、光を細い穴でできたスリットに通して、回折と言って、広がる性質を利用して、さらに2つの細い穴に通して異なる経路を辿る光を用意したのだ。

 もしも光の正体が波であるならば、上下に波打っていることを想像して、異なる経路を辿った光もタイミングよく重なれば強い光となり、打ち消し合うようにタイミングがずれて到着すれば弱い光、さらには暗くなるものと予想された。実験はその通り、光は波であることを示すかのように、干渉縞と呼ばれる明暗の繰り返し模様が確認された。これで光の正体について理解されたかのように感じられる。しかし謎が残る。光は波であると言っても、何に伝わる波なのか、上下に動く波は想像上のものであり、実際に上下に波打つ様子を見たわけでもない。でも水面に起こる波と同じように説明のできる現象にありふれている。光は波と考えても差し支えがない、程度の理解であった。

 光はかつて粒であると言われていた。しかし後に波であると考えた方が良いと判明した。
 それでは粒であると断定された電子はどうであろうか。
 いやいやこればかりは、疑いたくもない。原子という根源物の中に秘めた電子は、粒として運動方程式のルール通り矛盾なく軌跡を描く。ただし実は電子がその正体であるとされた陰極線も発見当初は、波の性質をもつものとして考えられていた頃があったようだ。人類は波か粒か、何か運動をするものをその両者の性質のどちらかで理解しようとしてきたようである。

 1887年のことである。ヘルツによる光電効果の実験が行われた。ヘルツは無線の発見でも知られる。マクスウェルとファラデーにより予言されていた電磁波、すなわち離れたところに電場や磁場を送信できることを示した人として有名である。彼は電磁波を強くするために、発信装置に紫外線を照射するという実験を行った際に、その電磁波の強度が強くなることを発見した。紫外線とは光のことであるから、金属に光を当てるという実験を行ったのだ。その際に電磁波の担い手である電子が増加するということを発見した。
 新しい発見にはその原因を追求するということが求められる。光が波であるということで、その現象を説明しようとすると無理が生じた。実験はより詳細に進められ、電子は粒であることを考えると、光の有無によって、それを弾き飛ばすような現象が生じている。

 光はもしかしたら粒なのではないか。
 光も電子も粒なのではないか。そう考えた方がスッキリする。
 アインシュタインは光量子仮説を提唱し、大胆にも光は粒であるとする考えを提案した。
 確かにそれで光を当てると電子が飛び出す現象は説明がつくかもしれない。ビリヤードのように想像できる。電子がたくさん含まれた金属に、光の粒がやってきて、押し出している。

 それでは我々がみた光の干渉縞は何なのか。
 水に広がる波の模様と同じように説明がつけられたはずの光とは何か。
 その謎について考えを突き詰めていくことにより量子力学の重い扉が開く音がする。
 これだけ多くの学者たちを翻弄した謎なのだから、我々が翻弄されてもおかしくない。
 しかし現代人の特権は、判明してきた事実を整理しながら聞くことができることだ。
 その重い扉を一緒に開く人がいる。勇気を出して覗いてみよう。扉の向こうを。