【後半戦】本年のパネラーたちが考える知的柔軟性の源泉、人間の「いい加減さ」とは?
「未来にAIはあるんか?」をテーマに各界を代表するパネラーたちが激論を交わす第5回「異種格闘技戦'23」。前半戦ではテーマに沿ってAIの進化が人間の身体知に影響を与える議論とともに、宗教的経典とAI解釈の未来にも注目が集まりました。
後半戦では、AIがもたらす感動や共感についての議論が始まり、またAIが持つ「愛」の可能性に対する期待と不安も浮かび上がりました。これからの時代に欠かせない存在となるAI。今後、人間はこれにどのように関わっていくのでしょうか。白熱の議論が続く中で、その行く末をぜひ最後までお楽しみください。
目次
今回は前半戦と同様に、AIと編集部の共同作業で生成した記事をお届けします。
パネラー:
株式会社エクサウィザーズ 執行役員 Chief AI Innovator 石山洸
キュレーター 弘前れんが倉庫美術館 副館長兼学芸統括 木村絵理子
脳科学者 茂木健一郎
東京大学名誉教授 東京大学先端科学技術 研究センター前所長 神﨑亮平
AR三兄弟 長男 川田十夢
横浜みなとみらいホール館長 東京芸術大学客員教授 新井鷗子
レフェリー:
フリーアナウンサー 渡名喜織恵
AIとアートの未来:感動と共感の掛け合い
新井氏から 「やはりその音楽というか、アートの使命として人を感動させるとか、共感を呼ぶということがあると思うんですけれども、例えばそのAIを使えば、そこそこいい曲とかモーツァルトっぽい曲、ベートーヴェンっぽい曲とか全然作れちゃう時代になってます」 との問題提起があり、AIが音楽やアートを生成する技術が進む中で、その作品が人間の感動を引き起こす本質が焦点となりました。
「例えばベートーヴェンのあの歓喜の歌、あれは指が五本あるという人間の体があってこそのメロディで。(ピアノを弾く音)これだけで弾けるんですよ。自分の体と同じ体で弾けるから、そこに共感とか感動が生まれるのかもしれない」。真の感動には人間の体験や感情が欠かせないという意見が浮上しました。単なる技術的に優れた面だけでなく、深い人間的な経験や共感が反映された作品が、人間を感動させる原動力とされています。
未知の領域が多く残る中で、AIが生み出すものに対する感動については、これが今後のアートや音楽の進化を左右する可能性があります。人間の感動は美的な側面だけでなく、作品が持つ文脈やコンセプト、そして観客自体の経験に根ざしています。作品と観客との共感が、感動を生む要素として非常に重要であると強調されました。
また、人間の感動の本質は、困難やネガティブな側面も受け入れながら深化していく可能性があります。困難な状況を受け入れ、それに対する感動や共感が生まれる場面が、人間の包容力と深い結びつきを持つことが指摘されました。これにより、感動がより豊かな意味を持ち、進化していく可能性が浮上しています。
人間のいい加減さ:知的柔軟性の源泉
「人間のいい加減さ」についても議論が交されました。
アシモフの三原則*¹について茂木氏は、「要するに三原則を守ればロボットがうまく振る舞ってくれるっていうことを示すためじゃなくて、いかにそれが破綻するかってことを書くためにやったんですね。要するにアライメントなんですね。今年流行ったミーガンという映画で、ロボットにどんな状況でもこの女の子を守れっていう命令をした時に、どういう困ったことが起こるのかってことを描いてて、そういう意味で面白かったんですけど。」とロボットやAIとのアライメント(人間の価値観・倫理観に沿っての行動を保証する)について言及し、人間はその独自の「いい加減さ」によって対処することができると述べました。
*¹...ロボット工学三原則(英語: Three Laws of Robotics)とは、SF作家アイザック・アシモフのSF小説において、ロボットが従うべきとして示された原則である。ロボット三原則とも言われる。「人間への安全性、命令への服従、自己防衛」を目的とする3つの原則から成る。アシモフの小説に登場するロボットは常にこの原則に従おうとするが、各原則の優先順位や解釈によって一見不合理な行動をとり、その謎解きが作品の主題となっている。(出典:wikipedia)
木村氏は、「いい加減さ」が人間にとってポジティブな側面も持っていると語りました。人間の持つネガティブケイパビリティとして、人間は困難な状況を受け入れ、答えを求めずに保留する能力を持っている。これが人間の包容力や許容力を形成し、解決の必要性よりも前に進む力となっているとの見解を示しました。
茂木氏は、具体例を挙げながら、絵画や囲碁などの芸術や人間関係においても、「これでいいだろう」という感覚が重要であると述べました。これが、生きている上での「いい加減さ」につながり、人間としての独自性を形成していると論じました。
議論の結果、人間の「いい加減さ」は知的な柔軟性を生み出す重要な要素であることが浮き彫りになりました。茂木氏の指摘した調整力としてのアライメントと、木村氏の語ったネガティブケイパビリティが、人間の知性を構成する不可欠な側面であることが理解されました。これからも、人間のいい加減さが新たな挑戦にどのように応えるかが注目されます。
■場外乱闘勃発
議論が終盤に差し掛かる頃、なんと茂木氏が「おい、十夢、ふざけんなよ」 と殴りかかる場面があり、
レフェリーである渡名喜氏がゴングを連打して制止させるという予想外の展開がありました。
異種格闘技戦にふさわしいステキな配慮をしていただきました。
未来の共存: AIが持つ「愛」の可能性に期待と不安
渡名喜氏が指摘するように、AIの感知能力が進化すると、人間とは異なる視点や経験を持つ可能性が広がります。これがAIと人間の新しい共生を築く手掛かりとなるかもしれません。
一方で、木村氏は「愛というと、私は理由がわからないんだけれども、それを選択してしまう。たくさんある選択肢の中で、これを選ぶとか、これが自分は欲しい。何かそこには明確な理由を説明されちゃうと、その気持ちが薄れてしまったりとかっていうようなこともある。(愛は)理由が分からない選択みたいなものだとすると、そこに人間らしさみたいなものを感じたくなるし、説明されたら嫌だっていうような気持ちにもなるっていうようなものなのかなと思っていて、そういうところが人間の表現っていうようなものとも繋がっていくのかもしれないなと思って。」 と、人間らしさの表現が、人間との関係を豊かにする一環であると認識しています。
新井氏は、AIがアートの領域で「愛」を取り入れ、新しい表現を生み出す可能性に期待を示しています。このアートの未来は、技術と感性が交じり合った創造性の発展をもたらすことでしょう。
しかし、これらの期待に加えて、新井氏はどうでもいいアートが存在し、AIとの共生が難しい場面もあると指摘。未来の共存に向けて、適切なアライメントが求められています。
AIと「愛」の関係性は未知の領域であり、様々な視点からの議論が深まっています。技術の進歩が未来の共存をどのように創造するか、期待と懸念が入り混じる中、私たちは新たな人間性の模索と未来への期待を抱いています。
茂木氏の最後の締めくくりの言葉からそれが伝わってきます。「人間とAIがどう和んでいけるのかっていうか、そのアライメントのロジックを作るのが、実はプラットフォーマーにもGAFAにもやられっぱなしの日本の歴史的な使命なのかなと思ったりもするんですね。だから、今日出会った皆さんとも、そして京セラさんとも、そして横浜の方とも、本当にみんな力を合わせて、AIと人間の共生がどうやって和んでいけるのかってことを、みんなで探っていきたいなと改めて思った一日でございました。」
異種格闘技戦’23 はノーカットのビデオを公開しています。ぜひ御覧ください。
編集部後記:
ずっと以前TED(Technology Entertainment Design;多様な分野で活躍する方々の講演の模様を多数配信しているサイト)で AI 画像認識の驚異的な能力を紹介するプレゼンを見たことがあります。発表者が最後に見せてくれたのは、自分の子供が食卓のケーキを前にはしゃいでいるシーンを認識させたものでした。AIは子供とかケーキとかをそれぞれ認識することはできていると話されていましたが、「その子が着ているTシャツは、メキシコで父親が買ってきてくれたお気に入りのもので、この日が誕生日で、いつもそのケーキを食べることを大変楽しみにしている」というところまではまだまだ認識できない という締めくくりでした。しかし、これからは誰もが AI と生活をともにしていくようになると、このような背景や情感をも汲み取って認識してくれる未来が来るであろうことが実感できました。